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今日ボクが見た風景

人体展と中国の人体闇市場 (ABCニュース20/20)

Category: 中国  




ABCニュース『20/20』
2008年2月15日放送
「人体の展示:しかし彼等はどこから来たのか?」

プラスチック保存された人体の展示を全米各地で開催し莫大な収益を得ているプレミア・­エキシビション社の『BODIES...The Exhibition』、その不透明な人体の入手ルートと中国の死刑囚使用の可能性に­関して、今年春にニューヨーク州検事総長が公的調査を開始、中国外交部は人体闇市場の­調査を行っていると発表、そして8月にはカリフォルニア州で人体輸入規制法が可決され­るなど、昨今全米で批判と規制の動きが高まっており、そのきっかけの一つとなったのが­今年2月15日に放送されたこのABCニュースの特集番組。

ABCニュースは中国に取材班を送り、その所在場所が周到に隠蔽されていた大連の人体­工場に隠しカメラを持って潜入、更に死刑囚死体の闇取引現場の写真を提供した元人体闇­市場関係者への取材を行い、死刑囚の死体がプラスティネーション工場に流れていたとの­証言を得ている。





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Photos document brutality in Shanghai

Category: 歴史  

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他国を踏み荒らす中国系移民

Category: 中国  

2009年11月5日、イタリア華字紙・欧聯時報はイタリアの反中感情が高まりを見せていると指摘し、 問題解決には中国人自身が自らの欠点を変えていかなければならないと提言した。中国新聞網が伝えた。

近年、イタリアの主流メディアは華人社会のマイナス面を取り上げた報道を続けており、イタリア国民の反中感情は高まりを見せている。イタリア在住華人を取り巻く環境は日に日に厳しさを増しており、身の危険にすらつながる事態となりつつある。

欧聯時報によると、イタリア人の反中感情は世界的な金融危機により経済的苦境が続いていることに由来しているという。しかし反中感情を沈静化させるためには中国人自身が欠点を見直す必要があると提言した。具体的には中国系企業や華人の多くが手がける、法の穴を突くようなグレーゾーンの商売をやめるべきであり、公明正大な商売をやるべきだと呼びかけた。また華人コミュニティや中国系メディアがイタリアメディアとのコミュニケーションを図ることも重要だと指摘した。


中国人は世界の癌細胞ですね。

善意で移民を受け入れても、こうやって仇で返されるのがオチです。
イタリアだけでなく、ヨーロッパ各国で中国系移民の問題は拡大しつつあります。

中国人移民に飲み込まれるフランス

フランスではここ最近、中国からの密入国が爆発的に増加している。

ロワシー空港の待機ゾーンで現在、最も数が多いのが中国人なのだ。2003年、国境で逮捕された12000人足らずのうち4000人、すなわち約35%がこの中華帝国出身者で占められていた。

なぜ中国人なのか?年率9パーセントの成長を遂げているとはいえ、中国の経済発展はまた、給与生活者にとって最低限必要なものを保障していた古くからの仕組みを破壊した。その結果、市場経済への移行は、赤字の国営企業の閉鎖により仕事を失った社会階層からの移民をも産んでしまったのだ。

フランス当局は、このような移民にとりわけ不安を抱いている。中国人社会の一部がはびこらせた地下経済が、予算担当者を驚愕させるほどの額に上る税金逃れの窓口となっているのだ。最新の調査によると、毎日約50万ユーロが、不法な、あるいは入り組んだ銀行ルートを経由して中国へ送られるという。内相は、このような金額の背後に、30万にものぼるフランスにおける中国人社会の存在があるとする。

中国人移民に飲み込まれるスペイン

一攫千金夢見て欧州を転々 スペインで急増する中国人移民。

スペインでここ数年、大きくクローズアップされている問題のひとつが移民、なかでも中国人移民の急増だ。中国人とスペイン人の利害の対立が、中国人業者の靴倉庫焼き払いに発展する事件も起きている。また、中国人移民には不法入国者も少なくないため、彼らの入国をあっせん裏シンジケートの暗躍に関する報道も目につく。

彼らは何を求めて、はるばるヨーロッパの西端にまでやってくるのだろうか。

中国人移民に飲み込まれるイタリア

中国人移民がイタリアのミラノで暴動ヨーロッパ,宗教と文化,移民問題最近ヨーロッパで暴動があったというニュースを聞くとイスラム系移民による暴動がすぐ頭に浮かぶのだが、今回イタリアのミラノで起きた暴動事件はなんと中華街での中国人移民によるものである。

ことの起こりは商品を違法に自家用車で運搬していた中国人女性が摘発され罰金を課されたことがきっかけだという。100人以上の中国人商店街の商人たちが中華人民共和国の旗を翻して人種差別を批判して暴れはじめた。その結果10人の警察官が負傷しほぼ同数の中国人もけがをした。日が暮れるまで続いた暴動では車は倒されるわ、警察がバトンを振り回すわ、罰金を課された女性は逮捕されるわ、で大変だったようだ。

イタリアでは現在11万4千人の中国人がすんでいるといわれるが、違法移民の数もかなりあるため実際にはその倍以上だとされている。ミラノだけでも中国人の人口は過去10年で1万2千にふくれあがっているという。ローマ、プラト、タスカニーといった大都市でも中国人労働者の数はかなり増えているようだ。特にローマとミラノでは中国人経営のビジネスが町の一画を完全に仕切っており、中国産繊維類の運搬で付近の道がかなり混雑していたことから普段から地元警察と中国人商人との間でかなりの摩擦が起きていたようだ。

中国人移民に飲み込まれるアメリカ

NYのチャイナタウンは、ウォール街から貳ブロック北にひろがる「キャナル・ストリート」(運河街)にある。もともとは広東からクーリー貿易で移住してきた中国人労働者が開いた、暗くて、雑多で猥雑な街である。華字誌がならび、世界日報も華僑新聞も、そして『中国之春』も中華麺、食材、卵、人参などと並べて売られている。街のやや中央部にある「北京ダッグ」の名物店は行列ができるほどの盛況で、コッチ元NY市長も食べにきた(この店はアルコール・ライセンスがないので、酒は持ち込まなければならないのだが)

猛毒食品の非難囂々だったとき、チャイナタウンで「CHINA FREE」(中国産品、扱っておりません)のステッカーが張られていた。これは一種、ブラックユーモアの世界だが、アメリカ企業家の心胆を寒からしめる動きが、まだある。チャイナタウンの急膨張とそのはてしなき増殖ぶりの凄まじさは、すでにおなじみ。北隣りのリットル・イタリアをとうの昔に呑み込み(八年前に行ったとき、すでにイタリア街にイタリア料理店は二軒しかなく、ほぼ九割が中華レストランだった)、ブロードウェイの対岸ソーホー地区さえ中国人が呑み込んだ。

中国人移民に飲み込まれるカナダ

カナダのトロントに出現した“チャイナタウン異変”あっという間に50万人のチャイナタウンが景観を激変させてしまった。

トロントは美しい街である。いや「だった」と書くべきかもしれない。ポルトガル人、イタリア人、そしてユダヤ人街は、それぞれが典型のタウンハウスで、前庭には小さな噴水や花園があった。一角は綺麗な風景で、朝夕、老人達が花々の手入れをしていた。

中国人が、ある日、この一角に現れ、つぎつぎとタウンハウスを購入し始めた。過去一、二年で、40万人から50万人の中国人が住み着くようになった。瞬く間の出来事だった。 最大の変化はなにか。購入したタウンハウスの前庭を、いきないコンクリートで潰して、空間の有効利用を始めたため、どの家からのガーデンが消えたことだ。トロントの伝統的な街の景観を変えてしまった、とカナダでは大騒ぎになっている


イナゴの大群のように他国を踏み荒らす中国系移民。
そういえば、今の日本の政権は、中国人の移民を1000万人受け入れるという構想を持ってましたね。

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インドネシアの華人

Category: 中国  

インドネシアの華人問題を取り上げて見たいと思います。

「我々インドネシア華人には、30年周期で不幸がやってくる」 - とは、親しいインドネシア華人がよく漏らす言葉です。聞く度に、なんとも物悲しくなる台詞です。

では、インドネシアでの「30年周期」とは、一体どのような過去だったのでしょうか。以下に、「周期」に関係なく、インドネシアにおける華僑・華人に関わる暴動・虐殺がらみの重要トピックを羅列します。歴史の認識から、インドネシアの華僑・華人問題を簡単に紐解いて見ましょう。

① 1740年10月 「紅河事件」
オランダ人による、バタビア(ジャカルタ)で起こった華僑・華人虐殺事件。
1730年代の後半にバタビア周辺の製糖業が衰退すると共に、本国から多数の広東人が来航したこともあって、多数の華僑・華人がバタビアの市外に住みついた。オランダ東インドネシア会社は治安の悪化をおそれ、1740年に彼らの一部をセイロン島に移そうとした。ところが華僑・華人の間で、沖合いに出たところで海に投げ込まれるという噂が立った。同年10月に入ると華僑・華人住民が市外に集まり、市の防衛施設を攻撃するようになった。このため市内のオランダ人などヨーロッパ系住民はパニックに陥り、同年9、10日に市内に住む華僑・華人のほとんどを虐殺した。犠牲者の血で川が赤く染まったとして、華僑・華人はこれを「紅渓惨案」と呼んでいる。

② 1942年9月 「9月20日事件」
日本軍がスマトラ島で華僑や抗日組織に対して行った大量逮捕事件。華僑とインドネシア人約2000人が逮捕され、545人がシアンタール収容所に拘禁された。華僑抗日協会の創設者で主席でもあった陳吉梅をはじめ、幹部十数名は1944年3月に銃殺された。

③ 1959-60年 「インドネシア政府による華僑・華人の農村居住禁止令」
13万6000人が中国へ帰国を余儀なくされた。

④ 1965年9月 「9月30日事件」
スカルノ政権崩壊のきっかけとなった、スハルト陸軍戦略予備軍司令官(当時)によるクーデター阻止と、その後の“赤狩り”。
このクーデターに関与したとされるインドネシア共産党に対し、徹底的な弾圧が行われ、同党は壊滅。その間、共産党員や大陸系華人など、50-100万人の人々が大量虐殺の犠牲になったほか、数多くの大陸系華人が中国への帰国を余儀なくされた。教育・文化面でも、インドネシア政府は、「華僑学校における民族教育、語学教育の禁止」、「華字誌の発行停止」、さらに「中国政府と取り決めた二重国籍協定の適用停止」など、インドネシア国籍を持たない華人に対する差別待遇措置をとった。

⑤ 1967年10月 「インドネシアと中国の外交関係が完全凍結」

⑥ 1973年8月5日~8日 「バンドゥンにおける反華僑・華人暴動」
イスラム教育の盛んな西ジャワ州バンドゥンにおいて起こった、インドネシア人と華僑・華人との対立から生まれた暴動。

⑦ 1974年1月 「1月15日事件」
1月14日に田中角栄首相がインドネシアを公式訪問した際に起こった「反日・反政府暴動」が、その後排華運動にもつながった。

⑧ 1998年5月 「ジャカルタ大暴動」
1997年7月に始まったアジア通貨経済危機に重なり、スハルト政権と華人政商に対する市民の怒りが爆発し、

ジャカルタの各所で華人経営の商店やスーパーマーケットなどが略奪・放火され、

さらに多数の華人女性が暴行されるという事件が発生した。

とりわけコタ地区やグロドック地区などのチャイナタウンは、この5月暴動において、

放火・略奪などの大きな被害を受けた。

5000以上の華人商店と住宅が襲撃を受け、1200人余が死亡し、数十万人が国外へ非難したと言われる。


これら以外にも、小さな反華僑・華人暴動は多く起きています。

ここでは、代表的なものだけ取り上げました。なお、説明文の一部は「華僑・華人事典」(弘文堂)から引用しています。

こうして見ていくと、インドネシア華人に関わる『30年周期で起こる悲劇の歴史』というのは、

『30年周期で起こる大暴動と理不尽な虐殺』と言うことがわかります。


①の「紅河事件」は、今から265年も前の話なので「30年周期」からは除外されるのでしょうが、

「ジャカルタから華僑が1人もいなくなった」と言われる大虐殺事件です。

想像するだけで、背筋が寒くなります。

一方で、「30年周期」で言えば、④「9月30日事件」から⑧「ジャカルタ大暴動」が、

ほぼ30年ということになります。このために友人は、

「両親から“2030年前後にもう一度、反華人大暴動が有り得る”とこと有る毎に言われている」と言います。

何ら根拠は無いのでしょう。わゆる、トラウマです。

何とも悲しい限りですが、これがインドネシア華人の根底にあるメンタリティーと理解するしかありません。

祖先が中国を追いやられ、インドネシアに移民 ⇒ 歴史に翻弄され、移民先の国で迫害を受ける ⇒ 中国へ戻りたいが、受け入れを拒否される場合もあった ⇒ 仕方なくインドネシアにとどまり、やるせない思いの中経済活動に精を出すことで社会的地位を確保する ⇒ 金持ち批判の中で、必ず標的になるのは華人 ⇒ インドネシアで生まれ育った第3世代華人にとっては、何とも理解できない差別観念と「30年周期」への恐れ…。

インドネシア華人について論じる場合、

彼らと彼らの両親世代に根深く在るこのメンタリティーを理解しない限り、

彼らの生活にせよ経済にせよ何ら真相には近づけないと言い切ってよいでしょう。




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キャリア名簿

Category: ブログ  


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都育成条例 改正案賛成論者は親の不安をあおっている

Category: 政治  
12月15日に都議会を可決した、「都青少年健全育成条例」の改正案。過激な性的表現などを含む漫画を対象に、18才未満への販売を規制するこの条例だが、漫画家や出版業界だけでなく、日本ペンクラブや日本弁護士連合会などさまざまな団体が猛反発。漫画家のちばてつやさんは、11月29日に都庁で開いた記者会見で、こう訴えた。

「こういうものを描けば流通を規制されると思えば、描き手の側が萎縮してしまう。

漫画やアニメ文化がしぼんでしまうのではないかと心配している」


 漫画家の里中満智子さんは、過激な性表現を子供に見せたくないという親たちの気持ちに理解を示しつつも、こう反論する。


「今回の問題は、“過激なシーンがごく当たり前に見られる状態にある”と誤解されている点にあります。改正案に賛成する人たちは、ものすごいシーンのページを開いて“こんなものが世の中に蔓延している”などといって親の不安をあおっている。ですが、実際は業界の自主規制によるゾーニングで、書店の棚は分けられているし、身分証明書がなければ買えません。現状で不充分なら、それをもっと徹底すればいいだけの話なのです」


 事実、既存の条例でも不健全図書を指定することができる。また、出版4団体で構成する出版倫理協議会では、第三者機関であるゾーニング委員会を設置。18才未満が読むには不適当なきわどい性表現のあるものに関しては、「成人向け」と表示、グレーゾーンのものも中身が開けないようにシールどめし、成人コーナーに陳列されるように自主規制を行っている。小口シールどめされる雑誌は月2000万冊にも及ぶという。山口貴士弁護士がいう。


「都が不健全図書に指定する冊数は減少し、非常に少ない。ゾーニングが機能しており、条例を改正する必要性がありません」


 また評論家で日本マンガ学会会長の呉智英さんもいう。「学校や家庭、小売店が自主的に規制すればいいことを、行政がやるのはおかしい。親も行政に取り締まってもらおうと考える前に、自分たちで教育しなければいけないことを認識すべきだ」


 議論されることはまだまだあるはずなのに、条例は12月15日成立した。


※女性セブン2010年12月31日・2011年1月1日号



誰もが古文の授業で読まされたあの『源氏物語』。そのストーリーは、

―光源氏は父の後妻である藤壺を慕って結ばれるが、近親相姦の罪の意識に苛まれる―

 というものだ。古典『源氏物語』はマンガで数多く作品化されているが、販売規制を受けるかもしれない。




一度否決されたこの改正案だが、今回の審議では通過する可能性が浮上。
 
 都議会の最大会派である民主党は従来、この条例の改正には反対の立場を取ってきた。

しかし、今回の改正案では態度を変化させているという。

ジャーナリストの渋井哲也氏がいう。

「理由は来年4月の統一地方選です。

青少年・治安対策本部は改正に賛成するPTA組織を動員して、

都内で計72回も有権者に向けて説明会を行なった。

“民主党議員は児童ポルノ擁護だ”とされたことで選挙を控えた議員らはかなり動揺しています」


 子供たちを守るという美辞麗句を“隠れ蓑”に、

表現の自由が損ねられるのであれば、憲法に抵触する重大な問題である。



※週刊ポスト2010年12月10日号





・・・やってくれましたね・・・日本の文化潰し




日教組による過激な性教育は取り締まらなくて良いのでしょうか・・・


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海老蔵ボコボコ事件 渦中の弁護士の得意分野と評判

Category: 事件  
海老蔵ボコボコ事件で、ケンカの“原因”とされる元暴走族グループリーダーの代理人弁護士が16日予定していた反論会見が急きょ、中止になった。先に釈明会見を開いた海老蔵の代理人は民暴専門の深沢直之弁護士だったが、元暴走族側の弁護士もタダもんじゃない。

 反論会見を開く予定だったのは、藤本勝也弁護士(65)。中大法学部卒で、70年に弁護士登録した。

「大学在学中に司法試験に合格した秀才で、最初は東京・日本橋の小さなマンションの一室で開業。法律相談や、弁護士会で刑法の対策委員などをやっていた。相談者からは『親身になってくれる』と評判が良かったそうです」(事情通)

 事務所のサイトを見ると、今は中国関連業務が得意のようだ。中国での企業設立のほか、日本で犯罪を起こした中国人の弁護人にも積極的だ。実例では、売春防止法違反で在留資格を取り消された中国人のビザを取得してやったり、殺人罪で逮捕、勾留された中国人容疑者を入管法違反で強制送還したり……。“人権派”というべきか、フツーの事務所では目にしない案件が目立つ。冤罪事件にも熱心という一方、“意外”な一面もあるという。

「どういう接点なのか分かりませんが、そのスジの事件弁護で“敏腕”として知られている。元ヤメ検の有名弁護士もそうだが、あの世界で弁護士は貴重な存在。今回も知人を通じて弁護人の話があったといいます」(芸能記者)

 第2ラウンドに突入した「海老蔵VS.元暴走族」の争い。ヤリ手弁護士同士の対決でアッと驚くような展開になるのか。

(日刊ゲンダイ2010年12月16日掲載)


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気鋭の警察ジャーナリストに何が…黒木昭雄さんの自殺から見えてくるもの

Category: 報道  
警視庁の元巡査部長でジャーナリストの黒木昭雄さん(52)が11月、亡くなった。実父の墓がある千葉県市原市今富の寺の空き地に止めた乗用車の助手席で遺体で発見された。後部座席に練炭が置かれており、警察では自殺とみているが、インターネットや一部報道では「消された」説が出るなど、いまだに謎が多い気鋭のジャーナリストの突然の死。黒木さんに何があったのか、親族の証言などをもとに探ってみた。(三枝玄太郎)

 ■殺人事件の取材に没頭

 「週刊朝日の編集者に会って仕事の打ち合わせをしてくる」

 黒木さんが家族にそう告げて市原市郡本の自宅を出たのは、11月1日午後4時ごろのことだった。

 「暗くならないうちに」と言って出かけた黒木さんに、妻の正子さん(54)は何の不審も抱かなかった。黒木さんからは午後5時に「無事に着いた」、午後6時に「ホテルを取ってもらったので心配いらないよ。明日の朝帰るから」とメールがあったからだ。

 2日午前8時40分、正子さんに「ゆうべは楽しい夜を過ごしました。帰りに親父の墓に寄って帰るね」と再度メール。しかし長男、昭成さん(21)には「おまえの成長をあの世のおじいちゃんに報告しておくから」というメールが届いたことで「おかしい」ということになる。

 正子さんは心当たりの寺に行くが、最初は見つけられなかった。昭成さんが黒木家の墓に新しい日本酒が置かれてあるのを見て、「父は酒を飲んだ後に車には乗らない」と奥の方まで探したところ、乗用車を発見。車内をのぞいたところ、黒木さんが倒れているのを見つけた。

 黒木さんは亡くなるまで岩手県で起きた殺人事件の取材に没頭していた。ここで、この事件に触れておかなくてはならない。

 事件は平成20年7月1日午後4時半ごろ、岩手県川井村(現宮古市)の河川で17歳の女性の遺体が発見されたことから始まった。女性は宮城県栗原市の佐藤梢さん。司法解剖の結果、死亡推定時刻は6月30日から7月1日と判明。首を絞められて瀕死(ひんし)の状態にされた後、橋から突き落とされたとみられた。佐藤さんは6月28日夜、「友達の彼氏に呼ばれた。恋愛相談。私、殺されるかもしれない」などと言い残していた。

 岩手県警はこの6月28日夜に佐藤さんを連れ出した無職、小原勝幸容疑者(31)を7月29日、全国に指名手配し、懸賞金100万円をかけた。

 小原容疑者は佐藤さんの遺体が見つかった7月1日、見通しの良い直線道路で電柱に突っ込む自損事故を起こしていた。この現場に残された車内から佐藤さんのものとみられる靴が見つかったことが、指名手配の決め手となった。

 黒木さんは9月初め、TBS系列のワイドショー番組の取材で岩手県を訪れ、ひとつの結論に達する。それは小原容疑者は佐藤さん殺害の容疑者ではなく、佐藤さんは別の人物に殺害されたのではないか-ということだ。見つかった靴も殺された佐藤さんのものかどうか分からないと主張した。

 小原容疑者は19年2月、ゲームセンターで佐藤さんら2人の女性をナンパし、佐藤さんとは別の女性と交際を始めた。

 小原容疑者は知人の男性に関東地方での型枠大工の仕事を紹介されるが、すぐ逃げだしてしまう。19年5月、紹介した男性は怒って小原容疑者を呼び出した。黒木さんの取材によると、小原容疑者は周辺の関係者に、男性から「顔に泥を塗った」と言われて日本刀をくわえさせられ、迷惑料120万円の借用書を書かされたと漏らしていた。一方。男性は黒木さんの取材に対し、迷惑料はずっと少額で、日本刀をくわえさせたことはないと否定したという。

 6月3日、小原容疑者は警察に被害届を提出。ところが事件前の6月28日昼、小原容疑者は被害届を取り下げたいと警察に言い出した。このころから小原容疑者は交際していた女性に「被害届を取り下げるためにはおまえが来ないとだめだから」と再三接触を図っている。女性と小原容疑者の間には別れ話が出ていた。

 ■失意招く出来事相次ぐ

 一方、黒木さんは知人男性が小原容疑者に被害届を取り下げさせるために佐藤さんをいわば「人質」にして、その後殺害、小原容疑者もその男性に殺害されたのではないか-という仮説を立てた。

 ある編集者は黒木さんのこの事件への傾注ぶりを「家一軒なくしてしまうかもしれない、と冗談交じりに話していました」と振り返る。妻の正子さんの話でも「月に多いときは3回、車でキャンプセットを積んで出かけて行きました。一度行ったきり40日間ほど帰ってこないこともありました」という。

 黒木さんは生前最後のブログを11月1日に更新。そこには小原容疑者の懸賞金を警察庁が300万円に増額したことを批判し、最後にこう締めくくっている。

 「なおこのブログは削除される可能性が非常に高く、前回不正に削除されたその目的は『警察書類が懸賞金の謎を暴く』と題する本稿の抹殺と思われます。

 どうか皆さん、転載をお願いします。そして、マスコミがこぞって立ち上がり、追及することを望みます」

 ブログは午後0時50分ごろ、黒木さんが自宅にいた際に更新されたとみられる。黒木さんはその約3時間後、正子さんに「打ち合わせに行ってくる」と言い残して自宅を出た。

 この殺人事件で小原容疑者はいまだに逮捕されておらず、謎は残ったままとなっている。

 日ごろ快活な黒木さんが目に見えて変わっていったのは家族によると、今年7月の参院選の前後だった。

 正子さんによると、黒木さんは「みんなの党」の公募に応じることを決意、何十年ぶりかに卒業した高校に出かけ、卒業証明書を取り寄せた。「国会議員になることで、警察の誤りを正したい、と本人はやる気満々でした」

 ところが結果は、なしのつぶて。面識があった鈴木宗男衆院議員率いる新党大地の公募にも応じたが、こちらも結果は知らされずに終わったという。

 「岩手県の殺人事件に関しても藤田幸久衆院議員(民主党)に持ちかけたところ、今年5月、決算委員会で質問する約束を取り付けたんです。しかし結局、質問されることはなく、主人は『警察がかかわると政治は動かないのか』と相当落ち込んでいました」(正子さん)

 また地元・岩手のマスコミにも接触を図ったが、あまり相手にされず、東京でも通信社の記者に「田舎の事件ですからね」と断られたことを気にしていた。

 ■睡眠薬も処方され…

 死についてそれとなく話題にしたり、家庭内でも後ろ向きな発言が増えたが、正子さんは兆候とは考えていなかったという。黒木さんは「眠れない」とこぼし、睡眠薬を医師に処方されるほど悩んでいたのだった。

 千葉県警の検視の結果、黒木さんの死因は一酸化炭素中毒と判明。車内からは市原市のホームセンターで練炭を買ったことを示すレシートが見つかり、黒木さんのカードが使われていたことも分かった。コンビニエンスストアでさきいかと日本酒を購入したこともすぐに裏付けられた。自宅の冷蔵庫からは、黒木さんが医師から処方された睡眠薬もなくなっていた。

 ネット上などでは黒木さんの死について、「殺人なのでは」などという流言飛語が飛び交ったが、県警では自殺とみている。

 黒木さんは自身2作目となるサスペンス小説を書いていた。そこに使われるトリックに、メールを実際とは時間差で遅く送るというものがあった。黒木さんはその「リモートメール」機能を使って長女にメールを送っていた。遺体発見日となった11月2日午前11時ごろ、長女が正子さんに「お父さんからメールがあった」と言ったのだ。そこには「お母さんを頼む」とあった。

 「一瞬、夫は生きているのでは、と思いました」と、そのとき黒木さんを必死で探していた正子さんは振り返る。直後に「お父さんが見つかった」と昭成さんから泣き声で電話があった。

 黒木さんの父の墓前には黒木さんがコンビニで買った「ワンカップ大関」が供えられていた。遺体発見前日の11月1日午後9時ごろ、埼玉県に住む義兄と黒木さんは電話で話をしている。

 「埼玉のうまい酒が入ったんだ。今度一緒に飲もう」と言った義兄に黒木さんは「今、こっちも飲んでるんだ」と答えたという。死亡推定時刻は1日午後11時。黒木さんは墓前で父と酒を酌み交わした後、自ら死出の道に旅立ったのだろうか。

 記者の私は産経新聞宇都宮支局に勤務していた12年ごろ、黒木さんと知り合った。それ以来、酒を飲んだり、時々会ったりして近況を話し合っていた。ただテレビによく出演していたのが、最近は減っていたのが気がかりだった。

 「警察に批判的なことを言う主人を疎ましく思って、テレビ局に主人を使わないように警察から圧力がかかったとも聞きます。いろいろなことが重なっていやになってしまったんじゃないでしょうか」

 妻の正子さんはこう話して続けた。

 「岩手の事件で借金があったのは事実で、昨年は自宅を売ろうとしたこともありました。でもそれが原因とは考えていません。いざとなればアパート暮らしだってできますから。それよりも人に裏切られたことの方が辛かったんじゃないでしょうか」

 ■ブログに記されたマスコミへの言葉

 黒木さんの長男は3年前、海上保安庁に入庁し、今は茨城県の海上保安部で勤務している。NHKの「ふるさと一番」に最愛の長男が出演したときの写真を黒木さんは大切にファイルに入れ保管していた。黒木さんの長女は東京都内での勤務を千葉県内に替え、傷心の正子さんと同居を再開している。

 「変節したな」-。私をしかった黒木さんの声が耳について離れない。岩手の事件とは別の要件で電話をもらった際、「今は国税担当で警察ではないから」という趣旨の返答をしたらこうしかられた。あのちょっと照れを含んだぶっきらぼうな声が聞かれないかと思うと切ない。岩手の事件に関しては全面的に首肯できないこともあったが、黒木さんの洞察力にはいつも驚かされた。まだ黒木さんにはやれることはたくさんあったはずだ。それが悔やまれる。

 黒木さんが最後に警視庁で勤務した荏原署の上司だった人がこう言ったことがある。「彼はスーパー警察官だったよ。職務質問もうまくて優秀だった。刑事課に引くって話も相当あったんだけど、『あいつは危ないから』って声があってね。あぶない刑事(デカ)、そんな感じ。猪突(ちょとつ)猛進で、周囲が冷や冷やするタイプだったな」

 警視庁という大組織を飛び出し、一匹狼のフリーランスの道を選んだ黒木さんの目からは、大手マスコミで禄をはむ私は歯がゆく見えたのかもしれない。

 黒木さんは自身のツイッターに岩手県の殺人事件に関する警察庁作成の書類などを1日午後0時56分にアップした後、末尾にこう記している。

 「最後にマスコミ諸君。この辺で警察の顔色をうかがうのはやめにしませんか。出版不況だの広告収入の激減だと言われていますが、このままだと報道の信頼も失うことになります。国民は信頼できるマスコミとそうでないマスコミを分けます。必ずそうした時代が来ます。生き残りをかけて戦う気があるなら私は情報提供書や取材メモをお見せすることもやぶさかではありません。もう一度考えて下さい。頑張って下さい。闘って下さい。よろしくお願いします。  黒木昭雄」


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韓国政府の調査は捏造機関?

Category: 在日・パチンコ  

【太平洋戦争】「日本軍が朝鮮人を虐殺し食人した」韓国政府が確認


しいたけ ◆I.Tae1mC8Y @おじいちゃんのコーヒーφ ★[] 10/10/06(水) 19:30:19 ID:???0


日帝強占期に太平洋のマーシャル諸島に強制動員された
朝鮮人たちが、日本軍の食人行為に抵抗し虐殺された事実が、
韓国政府の調査で初めて確認された。

対日抗争期強制動員被害調査および国外強制動員犠牲者等支援委員会
(呉秉周〈オ・ビョンジュ〉委員長)は、2006年からおよそ3年かけて
調査した結果をまとめた『ミリ環礁朝鮮人抵抗事件と日本軍の弾圧真相調査報告書』を5日に公開した。

報告書によると、1942年初め、朝鮮人労働者800-1000人が、飛行場など
軍事施設を建設するという名目で、太平洋中西部に位置する
マーシャル諸島南東端のミリ環礁に強制動員されたという。
ここは太平洋戦争当時、最前方の軍事的要衝で、およそ100の小島が帯状に連なり、環礁を形成している。

この一帯は土質や気候が劣悪で食糧事情が芳しくなく、米軍の孤立化作戦で、
44年6月以降は食糧の補給も途絶えた。この過程で45年2月28日、ミリ環礁内のある島で
暮らしていた朝鮮人約120人のうち数十人が、監視目的で島に派遣された
日本人11人を林の中に誘い込んで殺害し、米軍に投降しようとした。
しかし殺害できたのは7人で4人が生き残り、翌日機関銃で武装した
日本兵15人が島に上陸し、朝鮮人100人余りを虐殺した。

報告書は、「日本人の食人行為が、若い朝鮮人たちを集団で抵抗させた」と記した。
生存者の証言によると、45年初めのある日、日本人が朝鮮人に「クジラの肉」だといって肉の塊を与え、
腹いっぱい食べさせた。しかし数日後、食糧を手に入れるため小さな無人島に
渡った朝鮮人たちは、肉がえぐられ、無残な姿となった朝鮮人の遺体を発見した。
朝鮮人の中には行方不明者が多く、ほとんどは日本人の食人行為の犠牲になったと推定されている。

チョ・ゴン専門委員は、「生存者らの証言や研究などによって、日本軍の
食人行為を明らかにした。戦争ストレスや飢餓、米軍への恐怖などが
重なって起こった行為だとみられる」と語った。

http://news.livedoor.com/article/detail/5055436/



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お次はコレで日本政府にたかります!





きたねー国


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命に対する観念が異質

Category: 中国  


日本も鯨やイルカを殺す

文化である

中国も犬や猫を殺す

文化である

では、違いは何か

人間を屠殺するのも

中国の文化であると言わざるを得ない






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有道 出人

Category: 事件  


日本で活動している豪ジャーナリスト、ライアン・コネル氏は天職に恵まれて満足していた。
しかし、先月来彼は日本で最も罵倒される人物となった。各チャットサイトでは、意図的に日本のイメージを世界に貶めた「低俗なオーストラリア人ジャーナリスト」と非難するビラが溢れかえった。

今回の事件は、非難を浴びている「WaiWai」に5月に掲載されたコラムの1つから沸き起った。
日本の週刊誌の記事を引用したもので、あるレストランでは食材の動物とセックスをしてから食べるといった内容だ。
この記事は「mozu」と称するブロガーの目に留まり、怒った彼はブログに書き記した。それは即座に「2ちゃんねる」でも取り上げられることとなった。過熱気味な保守的傾向が見られる曰くつき人気巨大掲示板である。

そこでは多くの怒りが爆発して、コネル氏とその家族、毎日新聞およびそのスポンサーに対する抗議行動に発展し、数百万円の広告スポンサーを降りる会社も出るに至った。
毎日新聞社(世界で4番目の販売量を誇る)は謝罪文を掲載し、当該コラムを閉鎖し担当責任者たちの処罰とコネル氏には懲戒休職3ヶ月とする旨を明らかにした。
今週、本紙(ジ・エイジ紙)はコネル氏に接触したが、彼はコメントできないとの返答だった。
彼は殺害脅迫を受けていて騒ぎが沈静化するまで自宅でおとなしくしている様に、警察から厳しく指示されているのだろうと本紙は見ている。

コネル氏は1998年から毎日新聞コラムに書くようになった。世界の英語圏の地域に向けて衝撃的で有り得ないよう話で情報源も定かではないようなものばかりを日本の猥褻(わいせつ)記事満載の週刊誌から漁(あさ)っては提供してきた。西欧の読者の人気を集めていたことが日本のブロガーたちをさらに激怒させた。「日本は淫らな国」と、世界中で評判になっているのだと彼らは思っている。
「事実を知らない外人は真に受けるだろ、これ」、「ライアン・コネルはスカトロ愛好者だ。これがオーストラリア人さ」、「もうオーストラリアに水爆を落としちまえよ」といった非難の書き込みが相次いだ。 (抜粋)

「White Oniy」というお店なら海外によくありますよね。
そういうのは許せて「Japanese only」は許せないんだ。
ようは白人の自分をお前らアジア人が差別するな・・と言いたいんでしょう。

有色人種に対する差別がヒドイ国からやってきてわざわざ帰化して「俺様を見た目で判断するなよ」と日本人に文句をつける、迷惑この上ない。

来歴および活動履歴
1980年代に日本に移住。
2000年に日本国籍取得。
2001年に小樽の入浴施設を提訴
2002年在札幌米国総領事館から警告を受けて米国市民権を放棄。
2002年NTTドコモに抗議。
2004年2月、稚内市と紋別市に対し人種差別撤廃条例を強要。
2005年の3月から4月にかけてピースボートに参加。ちなみにピースボートには極左との繋がりが指摘されている
2005年6月より、本人のサイトにてパロディー絵「Little Yellow Jap」掲載を開始。
2005年マンダムに抗議。
2006年1月、2ちゃんねるを相手取って起こした名誉毀損訴訟で勝訴(→2ちゃんねるの歴史)
2006年4月H.I.Sに抗議
2006年9月夫人で元南幌町議員菅原文子と離婚。
2006年国歌斉唱は多文化共生に反すると非難。
2006年11月戸籍にある菅原姓の削除を札幌家庭裁判所に申し立て
2007年2月ファミリーマートボイコット運動。
2007年9月ホリデースポーツクラブに抗議。
2007年10月北海道情報大学を非難
2007年12月東横インボイコット運動。
2008年1月北国新聞に抗議。
2008年1月豪で武者小路公秀と共に日本語能力テストを批判。
2008年6月洞爺湖サミットの警備をめぐり、外国人にみえるというだけで警察が職務質問するのは人種差別だとして北海道警察に抗議文を提出

「Little Yellow Jap」
2005年6月より、本人のサイトにて「ちびくろサンボ」が復刊されたことへの抗議と称し、「ちびきいろじゃっぷ」と書かれたパロディー絵を掲載している。 出っ歯、ふんどし、下駄の絵で日本人を侮辱し、英語版では、"Little Yellow Jap"という最大級の人種差別表現を6回使用している。 なお、アルドウの母国アメリカでは「ちびくろサンボ」が、200件以上、ごく普通に出版されているが、 これに対してアルドウはどのような批判もしていない

H.I.Sの日本国籍保持者限定ディスカウントを非難する一方で、自分は外人オンリーディスカウントを宣伝したり、"Welcome Non-Japanese Customers"という店頭用表示を販売するなど反差別と矛盾する行動が見られ、強い批判を浴びているが、有道本人は本件に関し説得力がある説明を何もしていない。

______

見た目だけでなく心の中も白人の塊の人なのに、どうして帰化したのか。
「俺は日本籍を持ってるのに日本人は見た目で差別するから許せない」・・そう言いたい為だけに帰化したとしか思えない。

多文化共存を受け入れろと主張しているこの人自身が日本を否定しているように思えてしまう。

差別、偏見、人種差別、祖国であるアメリカの方が深刻なのにアメリカに対してはスルー。
白人の自分が差別されるのは許せないけど、それ以外はどうでもいい。
・・ある意味わかりやすい信念。

それが差別に繋がるとは考えないし、思い至らない。

所詮、白人至上主義の国からきた白人外国人。
本当の差別とはどんなものかわからないだろう。


クレール・H・ビショップ
(Claire Huchet Bishop, 1899年 – 1993年3月11日)は、米国の児童文学作家、図書館員。
代表作「シナの五にんきょうだい」は、1961年に日本語訳が出版されて以来、専門家から高い評価を受けるとともに子供の人気を集めてきた。1970年代になると米国で批判が起き、(1)細長の目や辮髪など、中国人を戯画化して描いている、(2)米国社会が中国からの移民労働者に強制した服装が描かれている、などと問題視された。


『ちびくろサンボ』(英: The Story of Little Black Sambo)は、世界的に広く読まれている童話、絵本。もとは軍医であった夫とインドに滞在していたスコットランド人、ヘレン・バンナーマン(ヘレン・バナマン)が、自分の子供たちのために書いた手作りの絵本であった。のちに公刊され、多くの海賊版(後述)によって広く流布した。

原作者はいずれも白人ではあるまいか?
そこに人種差別的思想があった・・・とは思えないのだが・・・



白人至上主義は今も変わってはいない


$今日ボクが見た風景




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Category: 日本国民の心得  

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