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日本の赤化を防いだ天皇と草の根保守

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日本の赤化を防いだ天皇と草の根保守

http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/101618/91171/69078700




戦後、アジアでは共産勢力が猛威をふるった。
共産勢力と非共産勢力の戦争も絶えなかった。
中国における国共内戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争、インドネシアの9.30事件(共産クーデタ)、これらはそれぞれ何十~何百万人もの犠牲者を出した。
これら以外にもタイ、マラヤ半島、フィリピン等では共産ゲリラとの内戦が続いた。

しかし、我が日本では内戦も革命も起きなかった。
なぜか?
それには色んな要因がある。
が、その中で私がもっとも大きかったと思うのは、天皇の存在である。
そして次が、それを支える保守的な農民と都市部の中間層。
これが日本の赤化を防いだ。

戦後、GHQは日本の民主化を推進するために日本共産党を利用した。
そして、労働組合の設立を積極的に支援した。
その結果、終戦翌年の1946年には国鉄労組が50万名、全逓信労組が40万名、民間の労組は合計70万名に達した。
同年9月には全官公労が結成され、11月には260万人に膨れ上がった。
そして、この多くが共産党とその指導下にあった産別会議の影響下におかれた。

知識人も同様である。
当時の大学は、教授会も学生自治会もほぼ100%共産党系主導だった。
読売のドン・渡辺恒夫も、その盟友・氏家齊一郎(元日テレ会長)もバリバリの共産党東大細胞だった。
朝日新聞を中心とするメディアも左派が主流で、論壇や文壇、民芸や前進座などの演劇界も共産党系。

もう労組と知識人と文化人の主流が共産党系で、メディアもその一翼を担っていた。
そして、世の中は戦争による荒廃から立ち直っておらず、失業者は1950年6月には43万人を記録するなど社会不安が高まっていた。
こういう状況下で共産党は武力闘争を選択し、レッド・パージで職場を追われた若い労働者、尖鋭な学生党員、在日朝鮮人党員などで編成された中核自衛隊を山村や農村に送り込んだ。
いわゆる山村工作隊や農村工作隊だが、その任務は、ゲリラ戦の根拠地を建設することだった。
中核自衛隊は1952年初め頃には約8千名と言われた。

ところが、山村や農村に送り込まれた若き共産党員たちが直面したのは、農民たちによる集団的吊るし上げだった。
自分たちを歓迎してくれると信じていた貧しい農民たちが、農村解放闘争に同調するどころか共産党の活動に敵対する。
若き共産党員たちは、党中央から聞かされていた話と現実のギャップに耐え切れず、その多くが挫折し、武力闘争から脱落していった。

私は農村出身だけに、この状況がよく解る。
農民の多くは、農地改革で小作農から自作農に変化し、食うに困る状況にはなかった。
そして、都市部の知識人や労働者・学生を席巻していた左翼思想とも無縁だった。
つまり、農民の多くは極めて保守的であり、天皇に対する尊崇と反共意識は戦前と変わっていなかったのだ。
私が幼いころは、天皇・皇后両陛下のお写真を座敷に掲げていた家庭も珍しくなかったくらいである。



私は、昨日の読売新聞を読んで、私たちの運動(共産主義革命)が、この日本という国においていかに非現実的なものであったかを痛感した。
1959年4月10日。
皇太子さまと美智子さま(現天皇・皇后両陛下)のご成婚に日本中が沸いた。
民間から迎えた初めてのお妃(きさき)。
皇居の神域にメディアが入ったのも、パレードが行われたのも、例のないことだった。

沿道で約60万人が祝福し、テレビ中継で1500万人が見つめた(テレビ普及率23.6%)
午後2時半。
ご夫妻となったお二人が馬車に揺られて皇居・二重橋前に姿を見せると、広場を埋めた18万人から地鳴りのような大歓声が沸き起こった。
万歳の連呼、「ミッチー」の呼び声。
熱狂は一気に最高潮に達していた。(参照:07/16 読売新聞)



皇居・二重橋前広場に18万人、パレードの沿道に60万人、そしてテレビ中継で1500万人。
通常ではありえない人の数と熱気が皇太子さまと美智子さまのご成婚を熱狂的に祝福したのだ。
私は当時7歳だから小学校2年生だった。
私の家のテレビの前も、押しかけた数十人の人たちで埋まり、皆が羨望と敬愛の入り交じった眼差しで画面に見入っていたことを覚えている。
とにかく美智子さまは美しくて気品に溢れていたという記憶がある。

ところで、この翌年の1960年6月に、左翼運動史上空前の盛り上がりを見せた60年安保闘争が起きた。
6月15日の、あの樺美智子さんが死亡した国会前でのデモ活動に参加した人は約13万人(警視庁発表)。
この日のゼネストには、全国で580万人が参加したと言われる。

日本左翼の歴史上、今も語り継がれる60年安保の6.15闘争。
この闘争でも国会前は13万人、全国でも580万人に過ぎなかったのだ。
皇太子さまと美智子さまのご成婚を熱狂的に祝福した国民の数と比べれば、天皇制に反対する人たちの数がいかに少ないかが分かる。
それでも都心部に13万人のデモ隊、全国で580万人がストに参加、というのは左翼にとっては空前絶後だった。

私は、読売の記事を読んですごく納得した。
この国で、結局、左翼が一度も政治的主流派になれなかったのは、左翼のカルト的理想主義より皇室を尊崇する国民の方が圧倒的に多いからだと。
そして、その国民のほとんどは名もなき市井の民である。
山村工作隊や農村工作隊が農民に吊るし上げられたことと併せて、私はこの国の「草の根保守」の根強さを痛感する。


やはり我が日本は、天皇なくしては成り立たない。





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中国の秦の始皇帝陵より立派な日本の仁徳天皇陵

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中国の秦の始皇帝陵より立派な日本の仁徳天皇陵

発信時間: 2011-06-10 14:21:28 | チャイナネット



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中国の秦始皇帝陵、エジプトのクフ王のピラミッド、日本の仁徳天皇陵古墳(大仙(山)古墳)は世界3大墳墓とされ、古い歴史があり、広大、壮観なことで世間によく知られている。このうち、日本の仁徳天皇陵古墳は最大面積を誇る。

仁徳天皇陵古墳は、大阪市南部の衛星都市にあり、5世紀初頭の仁徳天皇の時代に建設された。古墳は全長486メートル、高さ36メートル、後円部径249メートル、総面積46.4万平方メートルで、総面積(古墳だけの面積)約25万平方メートルの中国の秦の始皇帝陵、5.29万平方メートルのエジプトのクフ王のピラミッドと比べると、はるかに大きい。


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仁徳陵古墳の周濠と環壕には円筒形の土器が置かれ、前方部は遺体を置く石室となっており、長さは206メートル、幅は80メートル。副葬品は皇族だけが持っていた青銅製の鏡、玉、武士の金の刀、各種の貴重なアクセサリーが見つかっている。中でも研究価値がある物は、粘土で作られた軍馬、踊り子、帆船などだ。中国の兵馬俑などの文化財のように精巧な作りではないが、中国の副葬品に似ている。一部の学者は、仁徳陵古墳の建設と副葬品の製作には中国の技術が使われたと鑑定している。また専門家の推測によると、当時このような立派な古墳を建設するには、毎日1000人の労働者を使った場合、完成までに4年かかるという。また、仁徳天皇は180万人の労働者を使ったとも推測されている。


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仁徳天皇は日本の第16代天皇で、歴史上で大きな功績を上げた天皇だ。5世紀前半に天皇になった後、大規模な水田開発と治水灌漑工事を行い、当時の中国の宋朝廷と交流をするために使節を何度も派遣した。仁徳天皇の時代は日本の経済と文化が栄えた時代で、仁徳陵古墳は在位中に建設された。この古墳は今では日本の有名な観光地になっている。


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神功皇后 西征の令

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神功皇后 西征の令


神功皇后の「西征の令」・「西征の軍令」(後述)から,当時の外交・軍事に対する考え方に触れる.

西征の令では特に,国の大事にあって責任と功績の所在がどこにあるのか.

昨今震災後の対応の検証などで,首脳側が言った言わないと責任を官僚に押し付けたりしているが,果たして日本の国柄としてどうなのだろうか.



神功皇后

西征の令 仲哀天皇九年

夫れ師を興し衆を動すは,國の大事なり.安危成敗,必ずここにあり.今征伐する所有むに,事を以て群臣に付(さづ)く.若し事成らずんば,罪,群臣にあらむ.是れ甚だ傷ましきことなり.吾婦女にして,加以(また),不肖なり.然れども暫く男貌(だんばう)を假りて,強いて雄略を起し,上は神祗(あまつかみくにつかみ)の靈(みたま)を蒙(かうむ)り,下は群臣の助に籍(よ)り,兵甲を振(おこ)して嶮浪(けんらう)を度(わた)り,艫船(ろせん)を整へ,以て財(たから)の土(くに)を求めむとす.若し事就(な)らば,群臣共に功あらむ.事就らずむば,吾獨り罪あらむ.既にこの意あり.其れ共にこれを議せよ.

  • 師・・・軍隊,出師とは軍隊を繰り出すこと,出兵
  • 衆・・・兵
  • 安危・・・安全と危険
  • 成敗・・・成功と失敗
  • 不肖・・・愚か
  • 男貌・・・男装
  • 雄略・・・雄々しいはかりごと
  • 兵甲・・・武器,兵力
  • 嶮浪・・・嶮き浪,荒い波の意
  • 艫船・・・共に船
  • 財(たから)の土(くに)・・・新羅國

神功皇后とは

神功皇后は第九代開化天皇の玄孫,氣長宿禰王の娘で第十四代仲哀天皇の皇后.第十五代応神天皇の母でもあります.

仲哀天皇は神のミコトに随わなかったために仲哀天皇九年に崩御されます.そこで皇后は,その祟った神を知り,その神が教えてくれた宝の国を求めようとします.これが所謂「三韓征伐」です.

今回の「西征の令」「西征の軍令」は三韓征伐に際しての詔になります.

西征の令から「責任と功績」

  • 臣下の責任でなく,神功皇后御自ら指揮をとる.
  • 負ければ私の責任だが,勝てばお前たちの功績である.
  • お前たちでよく討議しなさい



景行天皇 日本武尊に東夷を伐たしむるの詔

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景行天皇 日本武尊に東夷を伐たしむるの詔


景行天皇は第十二代天皇で,日本武尊(ヤマトタケルノミコト)はその皇子である.

古代日本のヒーローとしてよく知られている日本武尊であるが,今回は景行天皇二十七年の『熊襲征伐』の後,『東夷』へ命じられる場面である.結果,日本武尊は武力を使わずに蝦夷を平定する.

「日本武尊に東夷を伐たしむるの詔」から,日本の”武力”や”戦”への価値観を確認することが出来る


能褒野神社

日本武尊に東夷を伐たしむるの詔 景行天皇四十年

朕聞く,其(か)の東夷は,識性暴強(しきせいぼうきやう)にして凌犯(りょうはん)を宗(むね)とす.村(ふれ)に長(ひとごのかみ)無く,邑(むら)に首(おびと)なし.各封堺(ほうかい)を貪りて,並びに相盗略(たうりゃく)す.また山に邪神(あしきかみ)有り,郊(の)に姦鬼(かたましきをに)有り.衢(ちまた)を遮り径(こみち)を塞ぎて,多くの人を苦しましむ.其の東夷の中(うち),蝦夷(えみし)これ尤も強し.男女交り居て,父子の別なし.冬は則ち穴に宿り,夏は則ち樔(す)に住む.毛を衣(き),血を飲みて,昆弟(こんてい)相疑ふ.山に登ること飛禽の如く,草を行くこと走獣の如し.恩を承けては則ち忘れ,怨(あだ)を見ては必ず報ゆ.是(ここ)を以て箭(や)を頭髻(とうきつ)に藏(をさ)め,刀を衣の中に佩(は)けり.或は黨類(たうるい)を聚(あつ)めて,辺界を犯し,或は農桑を伺ひ,以て人民を略む.撃てば則ち草に隱れ,追へば則ち山に入る.故に往古(おうこ)より,未だ王化に染(したが)はず,と.今朕汝(いまし)の人となりを察(み)るに,身体長大,容姿端正にして,力能く鼎(かなへ)を扛(あ)ぐ.猛きこと雷電(いかづち)の如く,向ふ所前(かたき)無く,攻むる所必ず勝つ.即ち知る,形は則ち我が子にして,實(むさね)は則ち神人(しんじん)なり.是れ寔(まこと)に天,朕が不叡(ふえい)にして,且つ国の平らかならざるを愍(あはれ)みたまひて,天業を経綸して,宗廟を絶たざらしめたまふか.亦是の天下は則ち汝の天下なり.是の位は則ち汝の位なり.願はくは,深く謀り,遠く慮(おもんぱか)りて,姦を探り,變を伺ひて,之に示すに威を以てし,之を懷(なづ)くるに徳を以てし,兵甲(つはもの)を煩はさずして,自ら臣隷せしめよ.即ち言を巧にして暴(あらぶる)神を調(したが)へ,武を振ひて以て姦鬼を攘へ.

  • 識性暴強・・・性質の荒いこと
  • 凌犯・・・押分けて犯す
  • 郊(の)・・・ノラとも訓む.町外れ
  • 姦鬼・・・邪悪の鬼
  • 姦(かたま)し・・・心が曲がっている
  • 昆弟・・・兄弟,はらから
  • 怨(あた)・・・うらみ
  • 頭髻(とうきつ)・・・もとどり,たぶさ.
  • 黨類・・・ともがら.その一類の者全部をいう語.仲間.同類.
  • 農桑を伺ひ・・・農耕養蚕の取り入れ時を狙う
  • 前(かたき)無し・・・前面に立ちふさがって敵対するもののいないところから

之に示すに威を以てし,之を懷(なづ)くるに徳を以てし,

兵甲(つはもの)を煩はさずして,自ら臣隷せしめよ.

皇軍の勢いを示し,徳を以て懐かせるようにして,兵を動かさずに,彼らが自ら進んで臣隷するようにせよ.

※必ず「徳教(みうつくしび)」によって言向け,名分を正す.

”武”の価値観

  • 支那

「兵は凶器なり」

「好鉄不打釘 好人不当兵(良鉄釘にはならず 良人兵にはならず)」

  • 西洋

武力=暴力

※※某官房長官「自衛隊は暴力装置」(??)

  • 日本

・武=神性を持つ

・三種の神器(草薙の剣)

武器を大切にお祀りする国は日本だけではないだろうか.

・日本の美称に

「細戈(くはしほこ)の千足(ちたるの)国」というのがある.

くはしほこ=精妙な武器としてのほこ

優秀な武器の完備している国,万の物が満ち足りて優れた国の意.


天武天皇 帝紀編修の詔

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天武天皇 帝紀編修の詔


天武天皇「帝紀編修の詔」は,古事記の序 第2段にある.

そもそも古事記の序とは,太安萬侶が和銅5年に完成した古事記を元明天皇に奏上する際の上表文を「序」としたものである.

「帝紀編修の詔」から,我が国の極古い時代において,言い伝えが政治の源を成していたことが分かる.

そして,『歴史』とは”肇国の理想を後世に伝えよう”とした結果であるのならば,言い伝えもまた歴史であり,その意味で神話もまた歴史である,



真福寺本古事記

帝紀編修の詔 (古事記 序)

朕聞く.諸家の賷(もたら)すところの帝紀および本辭,すでに正實に違ひ,多く虚僞を加ふ,と.今の時に當りて,その失を改めずんば,未だ幾年を經ずして,その旨滅びむとす.これ乃ち邦家(ほうか)の經緯,王化の鴻基(こうき)なり.故に惟(こ)れ帝紀を撰録し舊辭を討覈して,僞を削り實を定め,後葉(こうよう)に流(つた)へむと欲す.

  • 賷(もたら)す・・・伝来する,保存する
  • 帝紀・・・帝皇の日継,歴代天皇の記録
  • 本辭・・・代々の舊事の記録
  • 經緯・・・縦糸と横糸,即ち國家の組織
  • 鴻基・・・鴻とは雁の大きなもので,支那では天子の仕事を鴻業という.天皇が天下を統治遊ばされる基.
  • 撰録・・・選び記す
  • 舊辭・・・上古の諸事
  • 討覈・・・深く事実を調べ考究すること
  • 後葉・・・後の世,後代

※”それぞれの家に伝わっている言い伝え”が全く事実と違ったことや嘘が加えられているので,これを正さないと本当のところが失われてしまう.とある.

”それぞれの家に伝わっている言い伝え”とは,我が国の縦糸と横糸をなすもの,すなわち国家形成の重要な要素であり,天皇統治の基がここにある.と書かれている.

※だから本当のところを確定して,正しいものを後代に伝える.という詔である.

※ ,であるからこそ「古事記」は言い伝えを一本のストーリーとして書いているという特徴があるのかもしれない.

※ 対して「日本書紀」は,複数の説があれば書を並べて書いているという特徴がある.

邦家經緯 王化鴻基

”それぞれの家に伝わっている言い伝え帝紀および本辭) 国家形成の重要な要素であり,天皇統治の基だと述べている.

帝紀および本辭とは,帝皇の日継歴代天皇の記録代々の旧事の記録と説明されている.

つまり,

『邦家經緯 王化鴻基(国家形成の重要な要素・天皇統治の基)』とは,【祭】・【政】・【教】に淵源がある,ということができる.

※※今我が国は,戦後GHQの教育によって歴史が違われた状態になっている.

今,これを正さないと,日本は内部崩壊してしまうのではないか.

皇祖等騰極之次第 (日本書紀持統二年)

天武天皇が崩御され,葬るとき

直廣肆當摩眞人智德,奉誄皇祖等之騰極次第.禮也.古云日嗣也.

直廣肆當摩眞人智德,皇祖等の騰極の次第を誄奉る.禮なり.古には日嗣と云す.)

とある.

  • 騰極・・・即位すること
  • 誄(しのびこと)・・・死者の生前の功徳をたたえて、その死を悲しむこと.

※皇室の祖先が代々即位してきた歴史を誄(しのびこと)として奉った.これを「日嗣」という.

と書いてあるようだ.

※『皇祖等騰極之次第』=『日嗣』=『帝紀』

「天津日継(あまつひつぎ)」については,

以前紹介した,三大神勅「天壌無窮の神勅」

寶祚(あまつひつぎ)のさかえまさむこと

とある.

http://www.facebook.com/notes/新潟みことのり勉強会/三大神勅第2回詔勉強会/118631304884851

※「日嗣」とは天照大神の子孫が「日」の霊を継いでいくことであり,皇位の継承を指す.

※つまり,古事記に書かれている神話や言い伝え・歴史が,皇位の継承に直結している,ということを示している.

※「歴史=国家の根幹」 ということではないだろうか.


崇神天皇 祭神の詔

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崇神天皇 祭神の詔


崇神天皇の「祭神の詔」と,天武天皇の「帝紀編修の詔」(後述)

「祭神の詔」は日本書紀 巻第五にある.

崇神天皇といえば,第10代天皇であり,ハツクニシラススメラミコトと称される日本史史上重要な天皇である.

漢風諡号の「崇神」が示すように敬神の念の厚い天皇様であった

ご皇室は,神代から今上陛下に至るまで無私の精神で祭政一致を志し,高天原の理想を実現する「知らす」統治をされている

常に天ツ神の大御心を伺いそのままに政治を行うというご姿勢を感じることが出来る.



崇神天皇 山邊道勾岡上陵

祭神の詔 (崇神天皇七年)

昔,わが皇祖,大いに鴻基(こうき)を啓(ひら)き,その後聖業いよいよ高く,王風うたた盛んなり.意(おも)はざりき,いま朕が世に當りて,しばしば災害あらむとは.恐らくは朝に善政なく,咎を神祗に取るか.盍ぞ神龜に命(うらな)ひて,以て災を致せる所由(ゆえん)を極めざる.

  • 王風・・・王とは天皇を指し奉る.ここでは神武天皇から開化天皇までの間の皇威.
  • うたた・・・はなはだしく,いよいよ
  • 災害・・・崇神天皇5年には国中に疫病が流行して,国民の大半が斃れた.6年には天下の人々の多くが土地を捨てて四方に流浪し,中には朝廷の命を奉じない者も出てきた.
  • 神龜・・・龜の甲を焼いてその割れ方によって吉凶禍福を判断する方法を龜卜(きぼく)といい,この方法で神意をうかがうので神龜と称した.

※前述のように「祭神の詔」は日本書紀卷第五の七年春二月丁丑朔辛卯に書かれている.

注釈にあるように,崇神天皇5年・6年と疫病や混乱が続いていたようである.

※この”災害”に対して,崇神天皇は「朝に善政なく,咎を神祗に取るか.(少しも善政を行わないというので,天地の神々のお咎めをうけているからに違いない.)」と詔されている.

※そして,これに対処するために「神龜に命ふ(神龜の卜いによって神意を伺う)」としている.

これは,神様の御心(御意)のまにまに,という事を示しているようだ.

先ず神事

  • 禁秘御抄(順徳天皇)

凡(およそ)禁中(きんちゅう)の作法は,神事を先にし他事を後にす. 旦暮(たんぼ)敬神の叡慮(えいりょ),懈怠(けたい)なし.あからさまにも神宮ならびに内侍所(ないしどころ)の方を以て御跡となしたまはず.

神事次第

まず神事.次にその他のこと.

これが皇室の古来からのお姿である,と順徳天皇は説いていることを学んだ.

※※政治利用問題として騒がれた平成21年中国の習近平副主席が来日の日(12月15日)は元々「賢所御神楽の儀」という祭祀の日だったそうである.

「まず神事」という皇室のご姿勢.これを理解出来ない人間に日本の政治を行う資格があるだろうか.


明治天皇 天皇の稱を用ふるの國書

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明治天皇 天皇の稱を用ふるの國書


神勅・神武天皇の詔勅から2500年以上とんだ明治元年.

王政復古のことを外国に通告する際にどうしたらよいか,という事案が挙がったらしい.

今回は,明治天皇が”日本の政治は全て天皇の御名によって行う”と宣言された

「天皇の稱を用ふるの國書」について




明治天皇 伏見桃山陵

王政復古のことを外国に通告するに,その内容について政治顧問モンブラン伯爵の提言

  1. 将軍職を廃する事
  2. 今後,日本の政務は天皇親ら之を裁断せられるるに付,日本に於ける外交事務は,すべて天皇の御名において為さるべき事
  3. 天皇統治下にある諸侯は,すべて天皇の仰せを奉じ,天皇におかせられて,國政を議し給ふ場合,各藩主を京都に招集し,議事院に会合し,その決裁は天皇において為さるる事
  4. 長崎・横浜その他開港地は,在来徳川の名で開かれたが,今後は,天皇の御名に改めて,これを開く事
  5. 右のごとく,政体を変革すると同時に爾後,一層外國親善を加ふべき事

大久保利通

「天皇の稱を用ふるの國書」

天皇の稱を用ふるの國書 (明治元年正月十日)

日本國の天皇,諸外國の帝王及其の臣人に告ぐ.嚮(さき)に將軍徳川慶喜,政權を歸(かへ)さむことを謂ふや,制(みことのり)して之を允(ゆる)し,内外の政事は親しく之を裁せむとす.乃ち曰く,從前の條約に大君(たいくん・おおきみ)の名稱を用ひたりと雖も,今よりして後は,當に換ふるに天皇の稱を以てし,而して諸國交際の職は,専ら有司等(ゆうしら)に命ずべし.各國の公使,斯の旨を諒知(りょうち)せよ.

  • 諸外國の帝王・・・従前から日本と条約を結んで公使を派遣していた国々を指す.主としてイギリス・フランス・オランダ・アメリカ・ロシア・イタリイなど
  • 制(みことのり)して・・・みことのりを下しての意
  • 親しく之を裁す・・・王政復古によって天皇親裁となった意
  • 大君・・・徳川時代に幕府が外国との交際上,特に将軍の別号として使用した称.これを「タイクーン」と読んでいた.
  • 諸國交際の職・・・各国公使と直接談判に当たる事務・職掌
  • 有司(ゆうし)・・・官使
  • 諒知(りょうち)・・・よく承知して了解できること



神武天皇 即位建都の大詔

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神武天皇 即位建都の大詔


天業恢弘東幸の詔から6年後.神武天皇が橿原の地に都を作り即位することを志す「即位建都の大詔」を勉強した.

また,併せて,「天皇の稱を用ふるの國書」についても学んだ.(←後述)


神武天皇の即位によって日本は建国する.その日こそが今でいう「建国記念の日」であり,戦前までの「紀元節」だという.




神武天皇の御即位



即位建都の大詔 (神武天皇即位前紀己未)



我れ東(あずま)に征(みゆき)してよりここに六年(むとせ)になり.賴(さいは)ひに皇天(あまつかみ)の威(いきほひ)を以て凶徒(あた)就戮(ころ)されぬ,邊土(ほとりのくに)いまだ淸(しづ)まらず,餘(のこり)の妖(わざはひ)尚梗(たけし)と雖も,中洲之地(うちつのくに)また風塵(さわぎ)なし.

誠に宜しく皇都(みやこ)を恢(ひ)き廓(ひろ)めて,大壯(みあらか)を規(はか)り慕(つく)るべし.而して,今運は此の屯蒙(わかくくらき)に属(あ)ひて,民心(おほみたからのこころ)朴素(すなほ)なり.巣に棲み穴に住む,習俗(しわざ)惟常(これつね)となりたり.

夫れ大人の制(のり)を立てて,義必ず時に随ふ.苟くも民に利(くぼさ)有らば,何ぞ聖の造(わざ)に妨(たが)はむ.且た當に山林(やまはやし)を披拂(ひらきはら)ひ宮室(おほみや)を經(をさめ)営(つく)りて,恭みて寶位(たかみくら)に臨みて,元元(おほみたから)を鎭むベし.

上(かみ)は乾靈(あまつかみ)の國を授けたまひし徳(みうつくしび)に答へ,下(しも)は皇孫(すめみま)の正(ただしき)を養ひたまひし心(みこころ)を弘めむ.然して後に,六合(くにのうち)を兼ねて都を開き,八紘(あめのした)を掩(おほ)ひて宇(いへ)に為むこと,亦可からずや.觀れば,夫(か)の畝傍山の東南(たつみのすみ)の橿原の地は,蓋し国の墺區(もなか)か.治(みやこつく)るべし.





注釈



  • 六年・・・東征の年数.即ち甲寅から己未にいたる6年.
  • 邊土(ほとりのくに)・・・僻遠の地
  • 餘(のこり)の妖(わざはひ)なお梗(たけし)・・・賊兵の残徒が尚勢い盛んである
  • 中洲之地(うちつのくに)・・・大和地方を指す
  • 皇都(みやこ)を恢(ひ)き廓(ひろ)め・・・恢廓(こうかく)は広く大いにする.即ち都をひらき大きくすること.
  • 大壯(みあらか)・・・宮殿の古語
  • 規(はか)り慕(つく)る・・・規模に同じ.則手本として計画する.
  • 運(よ)・・・巡りあわせ.ここでは機運の意.
  • 屯蒙(わかくくらき)・・・屯は草の芽がまさに萌え出ようとする様に象る文字.よってワカシの訓.蒙はクラシの意.
  • 属(あ)ひて・・・連なる
  • 習俗(しわざ)惟常(これつね)となり・・・その土地の未開な慣わしが変わらずにある,の意
  • 大人・・・天を以て大となし之に則る人を聖人とよぶ.即ち徳高く度量広き人のこと.
  • 義必ず時に随ふ・・・諸制度は常に時勢に順応してたてねばならない.(立法的に進歩的考え方)
  • 利(くぼさ)・・・カガとも訓む.カガは利益の古語.
  • 造(わざ)・・・はじめて物をつくるの意.作ったもの.仕事.業.
  • 元元(おほみたから)・・・国民
  • 正(ただしき)を養ふ・・・正義の精神を養う
  • 六合(くにのうち)・・・東西南北上下の六方.天地四方の義.
  • 兼ぬ・・・2つ3つの物を1つにすること
  • 八紘(あめのした)を掩(おほ)ひて宇(いへ)に為む・・・八紘は四方四隅即ち八方.国家を以て家とするの義.
  • 墺區(もなか)・・・中枢の地区



即位建都の大詔とは




※即位建都の大詔は神武天皇即位前2年.

※「伊邪那岐神・伊邪那美神」→「天津神」→ミコトモチ→「伊邪那岐命・伊邪那美命」→「天照大御神」→「天孫瓊瓊杵尊」→→→「神武天皇」

修理固成の神勅からの神々の神徳にこたえる.






「東征」



※神武東征と良く呼ばれる.

この「東征」を上では「東に征(みゆき)す」と訓み下している.「みゆき」とは「行幸」のことである.

これは,「征」の第一義は”行く”であり,次に”征(う)つ”があるためだそうだ.

さらに,これら詔の中身を読めば,決して”征つ”とは読めないことは明らかであった.


例)

  • 我は日神の子孫の勅(「日本書紀」神武天皇即位前紀戊午年四月)

今我は是日神の子孫(うみのみこ)にして,日に向ひて虜(あた)を征つは,此天道(あめのみち)に逆れり.若かじ,退き還りて弱きことを示して,神(あまつやしろ)祇(くにつやしろ)を禮(ゐや)び祭(いは)ひて,背(そびら)に日神の威(みいきほひ)を負ひたてまつりて,影(みかげ)の隨に壓(おそ)ひ躡(ふ)みなむには.此の如くせば則ち會(かひし)て刃に血ぬらずして,虜必ず自づからに敗れなむ


  • 坐して天下を平ぐるの勅(「日本書紀」神武天皇即位前紀戊午年九月)

吾必ず鋒刃(つはもの)の威(いきほひ)を假(か)らず,坐ながら天下を平(む)けむ



→武力によらずして,言向ける(ことむける).

ということが強調されているとわかった.

※「騎馬民族征服王朝説」といった類のものが歴史をみずに述べられているということが分かった.






義必ず時に随ふ.苟くも民に利(くぼさ)有らば,何ぞ聖の造(わざ)に妨(たが)はむ



※制度は常に時勢によらなければならず,民に利益があるのならば金科玉条のようにせずに改める,ということが述べられている.


例)

第53代 淳和天皇(「日本後紀」卷卅一)

「夫れ,世を濟(すく)ふの道は,守株(しゅしゅ)すべからず.時の宜しきに隨ひ,あに膠柱(こうちゅう)すべけんや.」

  • 守株(しゅしゅ)・・・時勢にあわせずに守り続けること
  • 膠柱(こうちゅう)・・・琴の調律をニワカでくっつけてしまうこと.融通の利かないこと.




八紘為宇



八紘(あめのした)を掩(おほ)ひて宇(いへ)に為む

一大家族国家の建設を目指す.



神武天皇 天業恢弘東幸の詔

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神武天皇 天業恢弘東幸の詔


肇国の理想を述べた神勅を離れ,初代人皇 神武天皇がその理想実現のために東に行幸する際に述べた,「天業恢弘東幸の詔」を勉強した.

天業とは高天原を地上に実現する事業.恢弘とはそれを広めること.東幸とは東に行幸する.という意味だそうだ.


高天原の天上の義をこの地上に実現しよう・・・すなわち,我が国の國體の本義がここに定まったという.

これを神道では「惟神の道」という.


★天業恢弘東幸の詔は神武歴前7年(神武即位前7年)




神武天皇東征之圖



天業恢弘東幸の詔 (神武天皇即位前紀甲寅)



昔,わが天神(あまつかみ),高皇産霊尊・大日孁尊(おおひるめむちのみこと),この豊葦原瑞穂国を挙(のたまひあ)げて,わが天祖(あまつみおや),彦火瓊瓊杵尊(ひこほのににぎのみこと)に授けたまへり.ここにおいて火瓊瓊杵尊,天關(あまのいはくら)を闢(ひきひら)き雲路を披(おしわ)け,仙蹕(みさきはらひ)駈(お)ひて戻止(いた)ります.

是の時に,運(よ), 鴻荒(あらき)に属(あ)ひ,時,草昧(くらき)に鍾(あた)れり.故,蒙(くら)くして,正(ただしきみち)を養ひて,此の西の偏(ほとり)を治(しら)す.

皇祖皇考(みおや),乃神乃聖(かみひじり)にして,慶(よろこび)を積み暉(ひかり)を重ねて,多(さわ)に年所(とし)を歴(へ)たり.天祖の降跡(あまくだ)りましてより以逮(このかた),今に一百七十九万二千四百七十余歳(ももあまりななそあまりここのよろずとせふたちとせよももななそとせあまり).


而るを,遼邈(とほくはるか)なる地(くに),猶未だ王澤(みうつくしび)に霑(うるほ)はず.遂に邑(むら)に君有り,村(ふれ)に長(ひとごのかみ)有りて,各自(おのおの)彊(さかひ)を分ちて,用て相凌(あいしの)ぎ躒(きしろ)はしむ.


抑又(はたまた),鹽土老翁(しをつちのをぢ)に聞きき.曰ひしく,「東(ひむがしのかた)に美(うま)き地(くに)有り.青山四周(よもにめぐ)れり.其の中に亦,天磐船(あめのいわふね)に乗りて飛び降る者有り」といひき.

余(われ)謂(おも)ふに,彼(そ)の地は,必ず以て天業(あまつひつぎ)を恢(ひらき)弘(の)べて,天下に光宅(みちを)るに足りぬべし.蓋し六合(くに)の中心(もなか)か.

厥の飛び降るといふ者は,是れ饒速日歟(にぎはやひ)と謂ふか. 何ぞ就(ゆ)きて都つくらざらむ.




  • 高皇産霊尊・・・天地初発の時,高天原に成りませる神で神祇官八神の一
  • 大日孁尊・・・天照大神の御名
  • 天關(あまのいはくら)・・・高天原における天祖の御座所(みくらどころ)
  • 仙蹕(みさきはらひ)・・・神仙の通るときの先払い.転じて天子の御通行をいう.行幸.
  • 駈(お)ふ・・・促す.走らせる.
  • 戻止(いた)る・・・戻は来または至に同じ.来止.
  • 鴻荒・・・太古の意.はなはだ暗い意.
  • 草昧・・・世の開き始めにて未だ冥昧の時をいう
  • 皇祖皇考(みおや)・・・皇考は父をいう
  • 乃神乃聖(かみひじり)・・・通じないところなく,くらべるところないほど立派である意.
  • 積慶重暉・・・仁徳の政を布き光輝を耀かす.善事を重ね,恩沢が行き渡る.
  • 王澤・・・皇室の恩沢をいう
  • 邑,村・・・邑は大きなムラ(町).村は小さなムラ.
  • 凌(しの)ぎ躒(きしろ)はしむ・・・相争う.躒のキシロフ動きを繰り返す意.
  • 抑又(はたまた)・・・接続詞.さてさて.
  • 鹽土老翁・・・地理海路に通じる神.シホは潮.ツは助詞ノ.チはイカヅチ・オロチなどのチ.
  • 天業恢弘・・・皇祖の理想を実現すべき大事業を盛んにする
  • 光宅・・・光は広く大いなる意.宅は居.天下に降臨する.
  • 六合(くに)・・・東西南北上下の六方.天地四方の義.
  • 饒速日(にぎはやひ)・・・大和に先住する高天原人


※神武天皇が橿原の宮で即位される7年前.この時はまだ九州の日向地方にいたようだ.

この詔は,「これから大和地方へ行くぞ」と述べた詔である.


※前半では,この豊葦原瑞穂国がニニギノミコトに授けられたこと.天孫降臨したこと.しかしその時は世の中が未開で愚かだったことが述べられている.しかし,「ただしきみちを養ひて」というように,1つ1つを教えながら示す,つまり徳を持ってこの地を統治したと書かれている.

※とはいったものの,遠くの土地では,「みうつくしび(=水たまりに水が低いところから満たされるよう)にうるおはず」というように皇威が及んでいないと書かれている.それぞれの支配者が相争っていたようだ.


※後半では,海路をよく知っている鹽土老翁が,「東に良い土地があり,そこでは高天原の人が天磐船というものに乗ってやってきた」と言った,ということが書かれている.

※神武天皇はこれを聞いて,こここそが高天原の理想を実現(=天業恢弘)する地にふさわしい,東西南北上下の中心だと言い,ここに都を作ろうではないか,と東幸を決意したと書いてある.


神勅に現れている皇祖の理想

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神勅に現れている皇祖の理想


三大神勅が述べる肇国の理想をより明らかにしていった.

「天壌無窮の神勅」がその理想を大きく述べており,その内容として「寶鏡齋穀の神勅」・「神籬磐境の神勅」があるといえるようだ.

これらが特に,祭政一致・君民一体の理想を説いていることがわかった.

また,天皇の統治を指す「しらす」という言葉とそれに対極すると考えられている「うしはく」という言葉についても勉強した.


天岩屋戸

1,天壌無窮の神勅に現れている皇祖の理想の要素

  • 大八洲国の素晴らしさの認識・・・空間的,時間的な広がり=豊葦原千五百秋之瑞穂国
  • 皇位を万世一系とされたこと・・・天孫の一系が永遠に治めるべき国
  • 「しらす」の政治を理想とされたこと・・・徳治主義,法義上の主権だけでなく徳の上でも治める
  • その皇統によって統治されるわが国は,天地とともに栄えて窮まりなしと仰せられたこと

2,「しらす」「うしはく」について

  • 古事記 国譲りの段

この二神出雲伊那佐の小浜に降り到りて十掬剣(とつかのつるぎ)を抜きて浪穂に逆に刺し立てて其の剣の前にあぐみいて,其の大国主神に問ひたまはく天照大神高木神の命以て問につかはせり.

汝(いまし)の宇志波祁流(うしはける)葦原中国は,我が御子の知らす国ぞと言依さし賜へり.故れ汝心いかに.


  • 古事記伝七の巻(本居宣長)

さて物を見(みす)も聞(きこす)も知(しらす)も食(をす)も,みな他物を身に受け入るる意同じき故に,見とも聞とも知とも食とも,相ひ通はして云こと多くして,君の御国を治め有座(たもちま)すをも,知とも食とも,聞看(きこしめす)とも申すなり,これ君の御国治め有座すは物を見るが如く,聞くが如く,知るが如く,食が如く,身に受け入れ有つ意あればなり,此次に処知看(しろしめす)とあるも知見(しりみる)と云ことにて同意(おなじこころ)なり

  • 古事記伝十四の巻

宇志波祁流(うしはける)は,主(うし)として其の処を我物と領居(しりを)るを云,但し天皇の天の下所知食(しろしめす)ことなどを,宇志波伎座(うしはきます)と申せる例は,さらに無ければ,似たることながら,所知食などと云とは差別(たがひ)あることと聞こえたり,言の意は,波久(はく)は佩刀,着沓などの波久と同くて,身に着て持意ならむか,猶考ふべし

※古事記 国譲りの段には,共に統治するを意味する語として,

「大国主神」の”うしはける”国と,天照大御神の子孫が”しらす”国との使い分けがみられる.

※本居宣長は古事記伝の中で,”しらす(しろしめす=処知看)”とは「知り見る」ことと同じであり,うしはけるとは,領有するという意味しか持たないと考察している.

※さらに,天皇の統治を”うしはく”という事は無く,必ず”しらす”というようだ.

※つまり,この”しらす”統治こそ,ただ領有するだけとは違う,天皇政治の理想がこめられている言葉であると解釈できる.

3,天沼矛の神勅・御頸珠の神勅

ここに,天神,諸々の命以て,伊邪那岐,伊邪那美二柱の神に詔さく,「是のただよへる国をおさめかためなせ」・・・修理固成の神勅

伊邪那岐命が,その御頸の珠の緒をもゆらに取りゆらかして「汝が命は高天原をしらせ」

4,御鏡御拝

★寶鏡齋穀の神勅

鏡を見るということは,単に自分の顔を映すだけでなく,自分の顔を通じて親を思い,また祖先を偲ぶ.歴代天皇は御鏡御拝を通じて皇祖のお姿を偲び,その大御心をご自分の心として肇国の御精神を感得される.

御鏡(八咫鏡)・・・天照大御神のみたまとして

●神と共に寝食を共にする→神の境地で総覧し政治を行う

「まつりこと」・・・祭政一致

5,中今

過去を離れて今はなく,今を離れて未来はない,というわが国の思想

「いま」は「なか」である.

6,五伴緒の神々

★神籬磐境の神勅

神をまつること.祭政一致をせよという神勅.

●天孫降臨の時お供した神々

天児屋根命(あめのこやねのみこと)

太玉命(ふとたまのみこと)

天鈿女命(あめのうずめのみこと)

石凝姥命(いしこりどめのみこと)

玉祖命(たまのおやのみこと)

・斎庭(ゆには)・・・清めた場所

・稲(いね)・・・命の根

三種の神器+稲穂     ・・・決して精神面だけ強調された国柄ではない

(精神的) (物質的)

★Tips

仁徳天皇・・・かまどの煙が出ないのを見て租税を免除した.

昭和天皇・・・敗戦に際して「責任は私にある.国民が飢えないように食物をお貸し頂きたい.」

・天皇は神籬となって磐境の民を守る.       

・臣民は磐境となって神籬となる天皇をたてまつる.       ・・・・祭政一致・君民一体



三大神勅

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三大神勅


イザナギとイザナミが国生み神産みを始めるきっかけとなった「修理固成の神勅」.

そして,天孫ニニギノミコトが降臨する際に天照大御神から下された「三大神勅」.

これらには肇国の理想が語られているのだという.




天照大神と瓊瓊杵尊



1,みことのりの語義



天皇の「御言(みこと)を宣(の)る」の義.


本居宣長の説で「ミ」は「マ」の転音であり,「みことのり」とはすなわち「真言宣り・真理宣り(まことのり)」である.


やまとことばは一音一義.

「マコト」とは

「マ」・・・時間と空間

「コ」・・・こりかたまる

「ト」・・・とまる

すなわち真理をあらわす.




2,神勅




神々のミコトノリを神武天皇以降の歴代詔勅と区別して神勅と呼ぶ




3,伊邪那岐命・伊邪那美命の国生み



イザナキノカミ・イザナミノカミ

修理固成の神勅

「このただよへるくにを をさめかためなせ」

(ミコトモチとして)イザナキノミコト・イザナミノミコトと表記される.



●Tips

天地開闢以前から一物があった.

(古事記序「夫混元既凝。氣象未效。」・日本書紀第一段本文「渾沌如鶏子。溟〓[三水+幸]而含牙」

先ず,存在世界の原質があり,それをもとにして神が成った.

(日本の神は全智全能ではない)

ユダヤ教(キリスト教)

(創世記「初めに、神は天地を創造された。」

何の材料もないところから万物すべてを神がつくった.神は存在外であり超越者.




四,三大神勅



●天壌無窮の神勅

「とよあしはらちいほあきのみつほのくには.これあがうみのこのきみたるべきくになり.よろしくいましすめみまゆきてしらせ.さきくませ.あまつひつぎのさかえまさむこと,あめつちとともにきはまりなかるべし.」

(豊葦原千五百秋之瑞穂国。是吾子孫可王之地也。宜爾皇孫就而治焉。行矣。寶祚之隆、当与天壌無窮者矣。)


豊葦原(とよあしはら)・・・稲穂の豊かな国.

千五百秋(ちいほあき)・・・秋=年=稲.永久ほど極めて多い.

瑞穂国(みつほのくに)・・・ミツ=御稜威(ミイツ)と同源.神威によって栄える稲穂.

(あがうみのこ)・・・ニニギノミコト(天孫)

治らせ(しらせ)・・・天皇政治の理想.「知らす」が原語.⇔うしはく(力で統治する).天皇の統治に関して「うしはく」は用いられない.

行矣(さきくませ)・・・∬ ゚∀゚)ノ 行ってらっしゃい

寶祚(あまつひつぎ)・・・皇位

天壌(あめつち)・・・天地



●寶鏡齋穀の神勅

「あがみこ,このたからのかがみをみまさむこと.まさにわれをみるがごとくすべし.ともにみゆかをおなじくし,みあらかをひとつにして,もっていはひのかがみとなすべし.」

(吾児、視此寶鏡当猶視吾。可与同床共殿、以為齋鏡。)


「またみことのりしてのたまはく.あがたかあまがはらにきこしめすゆにはのいなほをもて,またあがみこにまかせまつるべし,と.」

(又勅曰。以吾高天原所御齋庭之穂、亦当御於吾児。)


吾児(あがみこ)・・・直截的には天孫ニニギノミコトを指すが,広義では歴代天皇

寶鏡(たからのかがみ)・・・三種の神器の一.八咫鏡.

同床共殿(ともにみゆかをおなじくし,みあらかをひとつにして)・・・同じ皇居の同じ床においてまつれ,の意.

齋鏡(いはひのかがみ)・・・天照大御神を見ることと同じだから反省の鏡とせよ,の意.

☆常に神と共にある,という緊張の状態を示す


高天原(たかあまがはら)・・・天つ神のいる場所.一つの理想郷.

齋庭之穂(ゆにはのほ)・・・ユニハとは祭事を行う清めた場所のこと.つまりお供えする稲穂.

☆日本人の主食である稲は神から賜った.



●神籬磐境の神勅

「あれはすなはち,あまつひもろぎおよびあまついはさかをおこしたてて.まさにすめみまのためにいはひまつらむ.いましあめのこやねのみこと.ふとたまのみこと,よろしくあまつひもろぎをたもちて.あしはらのなかつくにくだりて.またすめみまのためにいはひまつれ.」

(吾則起樹天津神籬及天津磐境。当為吾孫奉齋矣。汝天児屋命。太玉命、宜持天津神籬。降於葦原中国。亦為吾孫奉齋焉。)


天津神籬(あまつひもろぎ)・・・アマツは美称.ヒモロギは「霊籠る木」で本居宣長の説に「神の御室とする木」.

磐境(いはさか)・・・祝いの場.イハサカのサカは栄えるの意.

齋(いはひ)・・・心身を清めて神に祈願する



「詔勅」とは

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「詔勅」とは





教育勅語

1,みことのり

「みことのり」とは天皇のことば,おおせ.命令や法律以外の公文書を詔勅という.

詔勅すなわち「みことのり」は天皇(すめらみこと)の「御言(みこと)を宣る(のる)」の義.

詔書・勅書,他 口勅・勅諭・上諭がある.

詔勅を取り消す際は,焼却の詔勅によって焼却しなければならない.

→●戦後国会において教育勅語の失効決議が行われたが,詔勅によって取り消されていない.→教育勅語は今も生き続けている(?)

→●世の中の重要な局面では必ず詔勅によって国民の進むべき道が示されてきた.

2,みこと

「み」は美称.「こと」は言・事.

天皇の御言・勅命.

●尊(みこと)は事の神(それだけで存在している神という意だと思う).

●命(みこと)は御言(みこと)によって遣わされる神.(日本書紀伝 鈴木重胤 を意訳)

3,みこともち

天皇の御言を奉じて任に赴く人.

古事記において始め伊邪那岐神・伊邪那美神だったのが,国生みの段にはイザナギノミコト・イザナミノミコトと記されている.「みこともち」へと成った為,神→ミコトとなった.

●天つ神の御言をうけてこの地上に坐すから,天皇もまた「みこともち」.

●聖徳太子十七条憲法「詔を承はりては,必ず謹め.」(承詔必謹)

天皇からの詔勅をもって「国を修(おさ)め理(つく)り固(かた)め成」す国民もまた「みこともち」

4,ことよさす

「よさす」は「依(寄)す」

天照大御神の「ことば」があってはじめてその存在位置を得る.「ことよさし」があってはじめて神徳を得る.

●例)保食神(うけもちのかみ)は大神の言葉以前はただの穀物であり漂った存在.それが大神の言葉によって「ことよさし」があって始めて,保食神の保食神たる存在が確認される.

●例)内閣を組閣すると,天皇の前で認証式を受ける.これこそ「ことよさし」である.(本来ならば,承詔必謹.「ことよさし」を受けた内閣は「国を修(おさ)め理(つく)り固(かた)め成」さねばならぬはずだが,現在の政治家はどうしたのか.より国を漂わせている.)

5,国家

日本では「クニ」とは神々によって生みなされた人・動物・山川・草木自然が長い時を重ねて調和した自然発生の有機的結合体.

●有機的結合体ゆえ中心がある.それがご皇室.日本とは皇室を中心に人間・動物・自然が結合したもの.

●自然発生なので始まりはない.肇まりと書く.日本は「建国」したのではなく「肇国」という

6,歴史

歴史とは物語.

肇国の理想が顕現した事象を後世に伝える物語.

7,國體

國體とは国柄のこと.ガラとは本質をいう.

つまり国の本質.

君民一体の国柄.

8,結言

私たちの國がどういう国か.国の肇まるときどういった理想を持っていたのか.

國體の本義がどこにあるのか.

それを正しく理解していく.


悠仁親王殿下 ひつぎを継承する御存在

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「皇祖等騰極之次第」
について調べていたら,以下のページに行き当たって非常に感銘を受けたので紹介いたします.


以下
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

悠仁親王のご生誕を言祝ぐ
飯嶋七生(自由主義史観研究会会員)



はじめに   

平成十八年九月六日、皇室に四十一年ぶりとなる親王が誕生された。皇位継承順位第三位、すなわち、次の次の御代の帝となられる皇子である。              
周知の通り、今春、皇室典範が、古来の伝統とは異なる方向に推し進められ、皇統は危機に直面していた。そんな時期に、秋篠宮妃殿下のご懐妊の報が伝えられたのは、皇祖皇宗が見るに見かねて、皇子を地上に遣わされたのではないか。同様の思いを、多くの人々が抱いたことであろう。
まさに「神風」であり、今さらながら、伝統のもつ不可思議な力を認めないわけにはゆかない。

しかし、一部報道機関においては、悠仁親王を紹介するに「現在の皇室典範の規定においては(皇位継承順位第三位)」と前置きをするのが、常のようである。これによって、近い将来の皇室典範改正次第では、必ずしも、悠仁親王が即位するとは限らない、と刷り込もうとしている。 
もはや、天佑神助に驚嘆している時期は過ぎ、積極的に父系継承の理を主張していかなければならない。


悠仁親王の御名と御印
                
秋篠宮同妃両殿下のご決意は、コウノトリの御歌のエピソードとともに、知らぬ者はいない。だが、親王に託されたのは、一宮家の存続ではなく、皇統護持であるというのが、その御名と御印に明白である。
御名に関しては、多くの識者が、「悠久」「悠遠」な皇室の歴史を彷彿とさせる、相応しい命名であるとコメントしているので、あえて触れなくともよいだろう。
だが管見の限り、御印に込められた意味を正しく報じている記事を、私は知らない。

親王の御印は「高野槇(コウヤマキ)」。これは、日本列島の限られた地域にしか植生しない、一科一属一種、つまり、日本以外のどこにも存在しない特異な木である。 直立して育ち、その樹高が三十メートル以上にもなる属性から、父宮が「大きくまっすぐ育ってほしい」との願いを込められたものと、一般には報道された。
 
しかし、少しでも考古学を勉強したことのある者なら、高野槇の木は、古墳時代、「王墓」の棺(割竹型木棺)に使われたものと、すぐに気がついたはずである。

文献史料上では、スサノヲ命がみずからの体毛から樹木を生じさせ、ヒノキは神殿に、スギ・クスノキは船に、マキは棺材に使うように命じた、とある(『日本書紀』神代上第八段)               
実際、高野槇は水に強く、腐食しにくいという特徴から、石棺が登場するまでの古墳時代前期には、近畿地方を中心に多くの出土例がある。

ちなみに、海を隔てた朝鮮半島の王墓からも日本から輸出された高野槇や楠木製の木棺が発掘されており、貴人を葬る棺には、日本の高野槇が珍重され、希求されていた。


棺と日嗣の関係性
                
さて、現代の知識をもってすれば、死者を埋葬する棺というと、なにやら不吉にも思えよう。事実、明治神宮の植林に際しては、高野槇は「不浄」の木であるとして排除された。だが、わが国の曙光において、高野槇は決して不浄とは考えられていなかった。

古代には、亡くなった王の亡骸を埋葬した墳墓の頂上で、壮麗な王位継承儀礼が行われていた。

葬儀とは、前王の霊威を新たな後継者たる王に継承させる神聖な祭儀空間であったのだ。そうであるからこそ、「棺」は、やまとことばでは「ひつぎ(=日嗣・日継)」とよませるのである

日嗣皇子とは、太子=皇位継承者である
                  
「日嗣」とは、「日神=天照大神」の子孫が「日」の霊(ヒ)位を継いでいくことであり、皇位の継承、また継承者=「(皇)太子」を主に指す。

文献史料を渉猟すれば、天皇は「天津日継(あまつひつぎ)を知らす」(『古事記』応神段)存在であり、また、皇位そのものについては「日位(ひつきのくらい)」(『日本書紀』皇極四年)と呼ばれていた。
皇位継承者を指す用例としては、「太子」の語を「ヒツギノミコ」と訓じ、「(天皇の)継嗣」(『日本書紀』武烈六年九月条)も、同様に「ヒツギ」と読ませている

さらに具体的な例を挙げよう。
『日本書紀』持統二年条、先年崩御した天武天皇の葬儀において「皇祖等騰極之次第」(直訳すれば、皇室の祖先が代々即位してきた歴史)が読み上げられ、これを「日嗣」と云う、と解説されているのだ。

つまり、亡き先王の葬送儀礼とは、決して不浄なものではなく、高天原以来の皇位継承の歴史を朗々と語り、新たな「継嗣」に「日位(ひつきのくらい)」を継がせる舞台装置なのである。
日嗣は「火嗣ぎ」にも通じる(厳密には、古代の日と火は別音別語)。皇室と並んで古い歴史を持つ出雲大社の「出雲国造」家では、現在も葬送儀礼として「火嗣式」をおこなっている。

先代が亡くなると、ただちに神火相続の儀を執り行い「出雲国造」の祖霊を新たなる後継者が引き継ぐのである。

第八十二代出雲国造、千家尊統氏は、「『火嗣式』とは、歴代の天皇が、それぞれ御自身の御名をもつ独立の人格でありながら、御代々の天子がいつも高天原から降臨された、天孫ホノニニギ尊それ自体に他ならない」のと同様に、出雲国造の祖霊(天穂日命)を継承しているのだと述べられた。

なお、古代に限らず、今上天皇=継宮明仁親王がご生誕になった当時には「日嗣の御子は生れましぬ・・・」という歌が作られており、半世紀前の日本国民には、このような煩わしい説明は不要だったかもしれない


叡慮の在処
                
以上のことから、悠仁親王は、高野槇を御印に持たれた時点で、いや、秋篠宮両殿下がお誕生を決意されたときから「日嗣皇子=太子」としての運命を背負われている。    

御印の選定にあたっては、天皇皇后両陛下ともご相談されたと仄聞するが、それは、両陛下も悠仁親王を日嗣皇子として遇されたということに他ならない。        
いまだ陛下のご真意は那辺に在哉と、取り沙汰するむきもあるが、この一事をもってして、叡慮はすでに明らかである。むろん、悠仁親王殿下おひとりのご誕生で、皇統が安泰となったわけではない。 

近く、皇室典範の改正は必要であるが、高野槇の御印に込められた歴史的な意味を正しく読み解き、その方向に沿って検討を進めて頂きたいと、心より願うものである。

http://www.jiyuushikan.org/rekishi/rekishi122.html

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・








肇国の理想について勉強したい方は,

http://on.fb.me/kFlty1


DNAに訊け!

Category: 日出処ノ天子  

天皇がいても俺達の生活が良くなるわけでもないし

天皇制は廃止するべきだよね



28:名無しさん@涙目です。(愛媛県):2011/05/15(日) 20:21:25.36 ID:hRuGIdk60
天皇廃止派です
何の意味もないと思うんだ
国の象徴だからって言ってるけどさ
なんであんなに崇めるのか理解出来ない
天皇だからって何が凄いの?何も凄くないでしょ?
そこに生まれてたら俺が天皇になってただけだし

認める事出来ないです
廃止を希望します

149:名無しさん@涙目です。(dion軍):2011/05/15(日) 20:32:46.45 ID:xlscPYcR0
>>28が真理
愛国気取りのニュー速民はチョンチョンって言うけどマジで何がすごいか分からん
ただの一般人じゃねーか


29:名無しさん@涙目です。(長屋):2011/05/15(日) 20:21:43.92 ID:Q4WP0fPg0

一度止めると再開は不可能なので、本当に問題が起こるまではこういう議論はしない方がいいかな


43:名無しさん@涙目です。(埼玉県):2011/05/15(日) 20:23:25.95 ID:RTSUX4+20

天皇賛成派は「もしも天皇が廃止されたら?」って考えてほしい
なにも変わらないよね
つまりそういうこと





85:名無しさん@涙目です。(愛知県):2011/05/15(日) 20:26:45.29 ID:k4iogl5t0
>>43
宗教大好きな白人どもが崇めてるローマ法王とタメ張れる人物だぞ
居なくなったら欧米からフルボッコされるって分かんない?


95:名無しさん@涙目です。(catv?):2011/05/15(日) 20:28:04.03 ID:TP8gmpf50
>>85
> 宗教大好きな白人どもが崇めてるローマ法王とタメ張れる人物だぞ

お前の中ではな


102:名無しさん@涙目です。(大阪府):2011/05/15(日) 20:28:19.16 ID:DnD5gk3b0
>>85
いてもWW2でフルボッコにされましたけど?w

50:名無しさん@涙目です。(長屋):2011/05/15(日) 20:23:49.09 ID:q7nybWdwi
天皇陛下がいなかったら今の国の代表・象徴は菅だぞ


59:名無しさん@涙目です。(千葉県):2011/05/15(日) 20:24:25.84 ID:LBPaRa7y0
>>50
選んだのおたくらでしょw


67:名無しさん@涙目です。(北海道):2011/05/15(日) 20:25:34.41 ID:3bk9O0W70
>>50
別にいいよそれで
いったい何が問題なんだ??

57:名無しさん@涙目です。(広島県):2011/05/15(日) 20:24:18.36 ID:V3F9OEXM0

古墳を学術的に徹底的に調査してDNAが半島系なのを明らかにするべき





64:名無しさん@涙目です。(dion軍)2011/05/15(日) 20:24:54.56 ID:VNQmUGDH0
歴史を捨てた国は大混乱になるからやめとけ
92:名無しさん@涙目です。(埼玉県):2011/05/15(日) 20:27:31.52 ID:U6900V420
天皇が居なくなったところで大したメリットがない
廃止する労力を考えると存続させたほうがいい


109:名無しさん@涙目です。(新潟県):2011/05/15(日) 20:28:40.79 ID:yD3aXI710
右にも左にも染まっていない一般人だったら
「あってもなくても別にどっちでもいい」 だよね


116:名無しさん@涙目です。(岡山県):2011/05/15(日) 20:29:28.87 ID:49mxWtP60
つかアメリカが残した理由って何?
なんかメリットあったんでしょ当時は


137:名無しさん@涙目です。(大阪府):2011/05/15(日) 20:31:21.93 ID:DnD5gk3b0
>>116
明治以降天皇マンセー教育で洗脳された日本人は天皇を失うと発狂するかもしれない
だから天皇残して間接統治した方がリスクが少ないよねという結論



152:名無しさん@涙目です。(佐賀県):2011/05/15(日) 20:32:51.31 ID:TpLbkXl+0
>>137
しかしそのせいで今も戦争責任があいまいなまま
天ころ廃止しとけば領土問題なんぞ怒らなかったのに


268:名無しさん@涙目です。(大阪府):2011/05/15(日) 20:40:52.77 ID:MHbF+kaL0
>>137
天皇ってそんなに異常に崇拝されてたのかなぁ

戦前世代の年寄り連中見てても
「天皇バンザイ!天皇悪く言う奴は許さない!!」
って感じじゃないけどな

まぁ、天皇のことを悪く言う人はいないけどね

143:名無しさん@涙目です。(埼玉県):2011/05/15(日) 20:31:59.74 ID:U6900V420
>>116
逆に廃止してもあんまメリットないだろ
アメリカに対する反発心が増えるだけだし


148:名無しさん@涙目です。(大阪府):2011/05/15(日) 20:32:44.25 ID:XciejOn60
>>116
マッカーサー元帥が裕仁のお気持ちにいたく感服し
敗戦国の日本人の心の支えとして天皇制を残した
震災後の今と一緒だよ



190:名無しさん@涙目です。(東日本):2011/05/15(日) 20:35:54.10 ID:VfL7YmJD0
>>116
マッカーサーんとこに11回も会いに行って「戦争責任は私にある(迫真)」としらじらしく迫ってそのうち可愛がられたから




119:名無しさん@涙目です。(和歌山県):2011/05/15(日) 20:29:53.15 ID:9PG7zqRd0
戦争責任を負わず国民を見捨てたトンキン政府は帝さえ売り払って米国に従い存続した


121:名無しさん@涙目です。(東日本):2011/05/15(日) 20:30:10.58 ID:VfL7YmJD0
昭和天皇ってマッカーサーに媚びへつらって命乞いしたよね

ネトウヨはその辺どう考えてるの?



154:名無しさん@涙目です。(青森県):2011/05/15(日) 20:33:03.44 ID:1SC6CPw80
>>121
何を言ってんだおまえは

全部の財産を差し出して
今国民は飢えている、私はどうなってもいいから国民を食わせてくれと言ったのが昭和天皇だ



178:名無しさん@涙目です。(佐賀県):2011/05/15(日) 20:34:56.60 ID:TpLbkXl+0
>>154
え?原爆はしょうがない発言をなされた人間がそんなこと言うと思ってるの



205:名無しさん@涙目です。(東京都):2011/05/15(日) 20:36:40.61 ID:12/yw6Yj0
>>154
沖縄をアメリカに差し出すことになってもしょうがない発言をしていた人間がそんなこと言うと思ってんの?


218:名無しさん@涙目です。(埼玉県):2011/05/15(日) 20:37:44.99 ID:k1+9/fxq0

>>154こいつ頭おかしいだろ
元々その財産は国民から搾取したものなのに



122:名無しさん@涙目です。(関東・甲信越):2011/05/15(日) 20:30:12.16 ID:RWBtDO16O
王室や皇室が有るのと無いのとでは世界からの見方もかなり変わると思うんだが


157:名無しさん@涙目です。(愛知県):2011/05/15(日) 20:33:12.47 ID:vqSbaVa90
>>122
変わらんだろ
王室がなくたってアメリカはとてつもなく影響力大きいし、王室があってもレソトなんて誰も知らねー



世界一偉い方は日本の天皇

http://en.wikipedia.org/wiki/Emperor
>Currently, the Emperor of Japan is the only reigning monarch with the title.

王は世界にいくらいても許されるが、皇帝は世界でひとりしか許されない そのため
人類は2000年以上、たったひとりの皇帝の正当な地位を得るために戦争を繰り返してきた
十字軍遠征、モンゴルの長征、、、、、、、、
ところが、皮肉にも、最期に勝ち残ったのは、ローマ帝国皇帝でもモンゴル帝国皇帝でもなく、日本の天皇陛下だった
そう、現時点において、現存する世界で唯一かつ最古の皇帝が、天皇陛下なのだ。
これがどれだけすごいことか、外国人はわかっていても、当の日本人はまったく
知らない
ローマ法王とエリザベス女王は、天皇陛下と同席するときは上座を譲る慣例になっている
世界中どこに行っても、相手の元首を呼びつけるローマ法王が、日本に来たときだけ
自ら天皇陛下のところに足を運び、日本語で挨拶と演説をされた。

ココにあった引用
http://mao.s151.xrea.com/tumbrowser/text.html



169:名無しさん@涙目です。(神奈川県):2011/05/15(日) 20:34:13.65 ID:/tagHQ2k0
先祖が源平藤橘のどれかの氏族でない人には天皇家の偉業が分からんのだろうね

おそらく左翼寄りの義務教育の教科書では教えなかっただろうが、
武家政権の源氏も平氏も元は臣籍降下した皇族が始祖だ

日本人は名田に依る名字はいろいろあっても、
氏で言えば源・平・藤原がほとんど
つまり、まともな血筋の日本人なら、天皇家や天皇家の外戚の藤原氏と
祖先は同一ってこと

廃止だのなんだのという発想すら出てこないのが普通なんだよ


249: 【東電 73.8 %】 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 (東京都):2011/05/15(日) 20:39:35.96 ID:fub8vRdc0
>>169
いいこと言うね まさにその通り
源平藤橘

氏素性のはっきりしない土民、支那人、朝鮮土人が天皇を無くそうとしているんだな


175:名無しさん@涙目です。(埼玉県):2011/05/15(日) 20:34:46.29 ID:jYf7flOJ0
天皇要らんとかいうやつは国家というものを理解できてない
ナショナリズムなしに国家は維持できないのですよ。外国勢力が日本の富に興味ないわけないだろ……

10年勉強してこい


201:名無しさん@涙目です。(内モンゴル自治区):2011/05/15(日) 20:36:17.94 ID:Ar2ysYfR0
天皇制が無くなったら、海外の要人の結婚式なんかにも首相とかが出席することになるんだろ?

毎回何かしらの失礼があって海外メディアからフルボッコにされるのもスリリングで面白そうだな


231:名無しさん@涙目です。(栃木県):2011/05/15(日) 20:38:29.76 ID:ERyFTKW50
>>201
未来の日本は招待されるほどの大国じゃなくなってるから安心しろ


202:名無しさん@涙目です。(埼玉県):2011/05/15(日) 20:36:20.05 ID:eeRPG8p/0
次の天皇は弟の方にしろよ
一重のチビが天皇とか恥ずかしすぎる



208:名無しさん@涙目です。(関西・北陸):2011/05/15(日) 20:36:44.49 ID:yKWnEtyoO
天皇は世襲制の外交官だと思っとけ。
ローマ法皇と英国王室と対峙できる人物なんてほかの国にいないんだから、いるだけで日本の為になるの。
天皇はお飾りでもいてくれるだけで価値がある。
価値あるものを簡単に捨ててしまうだなんて愚民のすること。


217:名無しさん@涙目です。(大阪府):2011/05/15(日) 20:37:43.85 ID:rstVeU0V0
>>208
フランスがめっちゃ後悔してるってどっかで見た。>王族殲滅



339:名無しさん@涙目です。(関西・北陸):2011/05/15(日) 20:45:14.89 ID:yKWnEtyoO
>>217
フランス以外にも中国だって後悔してるしな
堅苦しい事考えずに世界最高水準の外交官だって思えば、潰すなんて思想にはならないはず
ていうか天皇がいなくなったら正直対外からみた日本国の価値は下がるだろうよ
王政の国がまだまだある世の中なんだし


384:名無しさん@涙目です。(大阪府):2011/05/15(日) 20:47:44.90 ID:rstVeU0V0
>>339
カンすっとばしてヒラリンが陛下にこないだ会ってたけど、
あれ見て国家元首が王族なのって政治への保険みたいなもんだなって思った。
良い制度だと思うよ。


220:名無しさん@涙目です。(愛媛県):2011/05/15(日) 20:37:55.02 ID:hRuGIdk60
金払ってないなら文句ないのよ
いらないってものになんで金払わないといけないのか 
そこだけだな俺は

自分達だけで稼いで天皇ですってやるぶんには文句一切ない


221:名無しさん@涙目です。(神奈川県):2011/05/15(日) 20:37:55.63 ID:/tagHQ2k0
そもそも日本を最初に統一して王権を作ったのは天皇家だぞ
なにが税金で養われてるだ
そもそも国を治める大君に貢租を納めるのは当たり前だろう


241:名無しさん@涙目です。(関西地方):2011/05/15(日) 20:38:53.96 ID:Ul8K1kYi0
>>221
皇室を税金で残すことによって、こういう危険思想な奴がでてくる方が
遥かにデメリット



230:名無しさん@涙目です。(東京都):2011/05/15(日) 20:38:27.77 ID:L9tlcw2L0
天皇制が無かったら政府はその正統性をどう主張すんの?
というかそもそも天皇家を擁してない国が「日本」を名乗れるの?


275:名無しさん@涙目です。(京都府):2011/05/15(日) 20:41:09.82 ID:0Gfm8zdqP
>>230 こんなアホな事言う奴いるから天皇信者はカルトなんだよ。
日本と言う国は日本人が歴史を積み重ねて作って来た国であり
どこかの一族だけが作ったものではない。
その日本人の文化や歴史を全て否定するような思考は異常なのだ







「天皇」それは日本悠久の歴史であり

日本独自の個性を持って存在している文化であり

また日本独特の精神でもある

日本人の「日本人が日本人である証」

アイデンティティがそこにある


在っても無くても良い・・・そんなものでは到底無い

「在って然り」なのだ


日本人ならば護っていかねばならんのです

敬いの対象が在ることを感謝すべきです


親の老後の面倒を見るのに条件を出したり

兄弟同士でなすり合いするような方々には

私はの発言は理解されないと思われますが


得は「する」ものでなく「積む」もの

その認識が在る方なら分かりますよね?


天皇や皇族は氏姓および名字を持たない

日本国には、天皇の国籍を明記した憲法も法律もなく

国民の権利・義務の規定は適用されない

故に天皇は国民でないという論が見られるが

日本国憲法において「天皇」は

「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」である

にも拘らず政治的権力は持っていない


「天皇」と云う有形無形の存在の意味を

どう受け取るかは

その人・人の人間性、精神性に表れるのです

有益無益を越え有意義無意味の向こうに在るもの


その崇高な存在が疎ましく

嫉ましくて仕方ない人間がいる


この国にありながら

この国の国籍を持たない輩である


不憫とは思うが

だからと言って他国の文化や象徴を貶めるような行為は

慎むべきではないか?


その蛮行に多くの日本人は気付き始め

己の核を踏みにじられる事に怒りの感情を

抑えきれない者も出るかも知れません


日本人再生

大和民族覚醒


あなた方が最も恐れる事ではないですか?




「天皇」 とは正に「日本」そのものであると云う事です 















昭和天皇、米に謝意 関東大震災の復興支援

Category: 日出処ノ天子  

昭和天皇、米に謝意 関東大震災の復興支援 外国要人と会話の記録

2011.5.5

昭和天皇が戦前に外国要人と交わした会話を、通訳の外交官が詳細に記録していたことが分かった。関東大震災の約7年後、復興支援に天皇が感謝し、駐日米大使が「復興は日本固有の力と驚くべき想像力によるもの」と応じている。

 天皇が昭和5年のロンドン海軍軍縮条約締結を「此上もなく悦ばし」と評価する場面もあり、発見した奈良岡聰智・京都大准教授(日本政治外交史)が近く論文を発表する。

 記録は、宮内省(当時)御用掛を兼務した外交官、沢田廉三の「外国人拝謁記」。4年9月から5年7月まで各国の大使や高級軍人ら延べ31組と面会した際の会話が外務省の用紙約150枚にタイプ打ちされ、表紙に「極秘」と書かれている。

 5年4月18日、天皇は駐日米国大使のウィリアム・キャッスル夫妻と皇居・宮殿で会食。約7年前の関東大震災の復興について「米国の援助によるところ多く、比較的早く完成せられたるは悦ばしく存じ居れり」と謝意を述べた。大使は「米国は当初にいささか援助したのみ。その後は日本固有の力と日本人の驚くべき想像力によって完成された」と応えている。

 同月13日には、軍縮条約が締結されることを喜び、天皇が英大使に「益々日英米の協力により世界平和の増進せられんことを希望す」と語っている。

 同年3月にはデンマーク皇太子に人口増加による食料不足がないか質問。4年の世界恐慌以来の世界情勢を憂慮していたことが推察される。




今日ボクが見た風景



国民に勇気「精神的支柱」

Category: 日出処ノ天子  

天皇、皇后両陛下、避難所歴訪へ…国民に勇気「精神的支柱」


天皇、皇后両陛下は8日、東日本大震災の被災者が生活する埼玉県加須(かぞ)市の旧騎西高校を訪問される。宮内庁が7日、発表した。来週以降も各地の避難所を歴訪し、復旧活動に影響を与えない段階になれば現地にも入られる見通しだ。両陛下が災害で逆境にある人たちに心を寄せ、行動で示される姿は過去にも繰り返しみられた。「戦後最大の国難」といわれる今回も、国民を勇気づける「精神的支柱」として、日本の復興を願われている。

 陛下は過去、自然災害で大規模な被害を受けた被災地に入られてきた。復興視察目的の再訪も含めると、即位後の被災地入りは10回以上を数える。

 被災者を初めて見舞った平成3年の雲仙・普賢岳(長崎)の災害では、被災地の負担を減らすため日帰りでのご訪問に。避難所の床にひざをつき、被災者と目線を合わされた。「国民と歩む」平成皇室の象徴といわれるスタイルは、その後も貫かれている。

 阪神・淡路大震災では、震災間もない1月末に兵庫県へ。寒風の中で手袋もせず被災者を励まされた。

 側近は「大きい災害でなくても、情報が伝えられるたび、その地域を心配されて被害状況をお聞きになられる」と話す。

 逆境にある国民に心を寄せる姿は過去の天皇の時代にもみられた。昭和天皇は終戦直後の昭和21年2月から全国を8年間にわたって回られた。「戦争で被害を受けた国民を慰め、励ましたい」としたもので、全行程は3万3千キロに及んだ。


宮内庁に所蔵される明治期の写真は台風や地震などで被害を受けた地方都市が多い。「写真を見て、明治天皇が救済金を送られることもあった」と伝えられる。

 今回の震災後は、両陛下が出席される行事は多くが中止に。一方、これまで10人以上の専門家から、救護活動や被害状況などの説明を受けられている。

 東京電力の計画停電に合わせ、御所で1回約2時間、電気の使用を控える「自主停電」は、側近によると、3月15日に始めて以降、4月7日まで1日の休みもなく実行されている。

 両陛下の行動に、次世代を担われる皇族方も足並みを合わせ、6日に皇太子ご夫妻が味の素スタジアム(東京都調布市)を訪問されたのに続き、7日には秋篠宮ご夫妻が東京ビッグサイト(江東区)を訪問された。

 3月30日に東京武道館(足立区)で両陛下を迎えた被災者らは、会話を重ねるたび緊張が解け、涙を流す姿もみられた。福島県南相馬市の杉忠夫さん(80)は「不安を抱いていたが、優しいお姿に勇気が出た」。同県いわき市の女性は「日常生活に戻れたら、またお会いしたい」と、復興への意欲を新たにしていた。

 無私の取り組みを続ける陛下は、ビデオで公表したお言葉の中で「私たち」という国民目線の言葉を使い、こう呼びかけられた。「被災者のこれからの苦難の日々を、私たち皆が、さまざまな形で少しでも多く分かち合っていくことが大切であろうと思います」



すべてのグループに声をおかけに


天皇、皇后両陛下は30日、東日本大震災の被災者約290人が避難している東京都足立区の東京武道館を訪問された。両陛下が被災者を直接見舞われたのは初めて。

 両陛下は「お大事にね」「少し休めましたか?」などと、すべてのグループに声をかけられた=写真(いずれも代表撮影)。福島県浪江町から避難してきた養護学校講師、浮渡(うきと)健次さん(34)は「本当に心配してくださっている気持ちが伝わってきた」と話した。都関係者らからの説明を省略し、予定時間を上回る約50分を被災者のお見舞いに費やされた。

 両陛下は災害状況に心を痛め、16日にはビデオを通じ、国民に向けてお言葉を述べられた。お住まいの皇居・御所では、「国民と困難を分かち合いたい」として、数時間にわたり、明かりや暖房など電気を一切使わない「自主停電」を15日に開始された。側近によると、以降、毎日続けられている。

 福島県から避難している被災者が9割以上を占める東京武道館(東京都足立区)。ジャンパー姿の天皇陛下は30日、皇后さまとともに、家族らが暮らす区画を1つずつ回られた。

 目線を落とし、ひざまずきながら熱心に話を聞かれた陛下は、「本当にご心配でしょう」「ご家族は大丈夫ですか」などと被災者を案じ、複数の避難所を転々とした話を聞くと、「大変ですね」と同情された。


皇后さまは乳幼児を抱える母親に「ミルクやおむつはあるの?」「屋外で遊ぶところはあるんですか?」とご質問。子供の前でお手玉をされる場面もあり、周囲に笑いが広がった。

 多くの避難者は、両陛下と話していないときも、正座を崩さず両陛下を目で追った。涙を浮かべる姿もあった。

 即位後、陛下は大規模な自然災害が起きるたび、皇后さまとともに可能な限り速やかに現地を訪問されてきた。平成7年の阪神大震災では、震災後約2週間で兵庫県に入られている。

 今回の災害からもすでに20日目を迎えたが、現地に入るには警備面の負担などを考えると時期が早いとして、まずは都内の避難所を訪問された。

 両陛下はほかにも「現段階でできること」を考え、実行されている。お言葉を述べた映像の公表や、御所での「自主停電」。宮内庁の御料牧場(栃木)の生産品の卵、野菜を避難所に届けたり、那須御用邸(同)の職員用の風呂が避難者に開放されたりした前例のない取り組みも、両陛下のご発案だった。

 両陛下が心を砕かれる一方で、皇室に関する根拠のない話がネットを通じて出回っている。陛下や皇族方が、余震や放射線の影響を避けるため「京都に移動された」などとする内容だ。

 震災以降、各種行事の出席を中止し、公の場に出る機会が少なくなったことが背景にあるようだ。陛下のお言葉のビデオが発表された16日以降は「映像は海外で撮影された」という根拠のない話も登場した。

 真偽を会見で問われた宮内庁幹部はこう答えた。「答えるには及ばない。陛下がどこにいらっしゃるかは、みなさんが一番ご存じのはずです」

 両陛下は災害直後から、「一日でも早く被災地を訪れたい」と、一貫して強く願われているという。

(芦川雄大、篠原那美)



両陛下、「自主停電」お続けに

天皇、皇后両陛下が、東日本大震災の被災地に思いをはせ、お住まいの皇居・御所の電気を一定時間使わない「自主停電」を続けられていることが分かった。「国民と困難を分かち合いたい」という趣旨で15日に始めたもので、宮内庁の羽毛田信吾長官らによると、陛下は「寒いのは(服を)着れば大丈夫」とおっしゃっているという。

 両陛下は計画停電で「第1グループ」に分類された地域の停電時間に合わせ、1回約2時間にわたり、明かりや暖房といった電気の使用を一切控え、時にはろうそくや懐中電灯を使いながら過ごされているという。暗い中で夕食を取られることもあったようだ。

 両陛下は、第1グループで停電が計画されたものの、実際には電力供給が逼(ひっ)迫(ぱく)せず、停電がなかった日も、当初の計画時間に合わせ、自主的な停電を実行された。15日から23日までは1日も欠かさずに行い、スケジュールに合わせて同じ日に朝晩2回、電気を止められた日も複数回あったという。宮内庁東宮職によると、皇太子ご一家も、同様の「自主停電」を、お住まいの東宮御所で行われているという。

 計画停電では、皇居のある東京都千代田区は対象地域になっていない。




那須御用邸の風呂を開放 両陛下のご意向で


宮内庁は24日、両陛下や皇族方が静養に使われている那須御用邸(栃木)で職員が使用している風呂を、近隣地域にいる東日本大震災の避難者に開放すると発表した。また、同県の御料牧場で保管している卵約1千個や缶詰、野菜などを避難所に提供する。いずれも、両陛下のご意向を受けて決めたという。

 風呂の提供は26日にも開始。バスで送迎し、最大で週に300人程度の避難者が入浴する見通し。健康相談も受け付ける。

 御料牧場では牛乳も生産していたが、地震で原乳の処理施設が損傷し、現在は生産できない状態になっているという。



「自分で厳しく律する」国民に模範


「食事は、簡単なものでいいから」

 東日本大震災後、天皇、皇后両陛下は食事を担当する職員にこのように指示される場面があったという。東京電力の計画停電で「第1グループ」に分類された地域の停電予定に合わせ、1回約2時間、暖房や電灯など電気の使用を控える「自主停電」をされているためだ。

 「停電中だと、調理に支障がでるだろうというご配慮だったのではないか」と側近は振り返る。

 那須御用邸の職員用風呂の開放、御料牧場で取れた卵、缶詰などの提供…。両陛下が地震後に意向を示された前例のない取り組みの中でも、自主停電は特徴的だ。

 自主停電は「国民と困難を分かち合いたい」として3月15日に始められた。皇居がある東京都千代田区は計画停電の対象になっていないことについて、陛下は「ノルマがないからこそ、自分で厳しく律さないといけない」と話されたという。


寒さは厚着で


 自主停電中、両陛下は夜間にろうそくや懐中電灯で灯りをとり、寒さはセーターなどの厚着でおしのぎになった。側近によると、皇后さまは東日本大震災発生後まもなく、職員とともに御所で保管しているろうそくを集めるとともに、懐中電灯が点灯するか自ら確認をされたという。

 自主停電の時間によっては、ろうそくの明かりのもとで夕食を取られることもあった。その際には、余震で倒れる可能性を考え、低い位置まで水を入れた水槽の中に、火をつけたろうそくを立てられていたという。


陛下のご公務にも変更が生じた。「電力消費の大きい宮殿の使用は必要最小限に」という両陛下のご意向で、宮内庁は3月14日以降、宮殿の使用を、閣僚などの認証官任命式と、新しい駐日外国大使を迎えて行う信任状捧呈(ほうてい)式に限定。ほかの宮殿行事はお住まいの御所で実施している。

 3月31日、陛下が離任する駐日トルコ大使を御所で引見されたときには、ちょうど自主停電の時間にあたった。

 「照明も暖房もない応接間で行われた。幸い天気が良く、障子ごしに差し込む陽光で十分明るかったのではないか」と宮内庁幹部。皇室の国際親善を担当する式部職が、事前に両陛下の自主停電のお取り組みについて説明したところ、トルコ大使は深く納得した様子だったという。

 「御所はプライベートな空間で、本来、外国人であれば王族など親しい方しか入れない。洋風な宮殿と違い、日本的な渡り廊下や障子があり、トルコ大使は御所での手厚い対応を喜んでいた」そうだ。

 今月21日にオーストラリアのギラード首相を引見された時間も、自主停電の時間にあたった。宮内庁幹部は「何ら支障はなかった」と話す。


「不実施」でも継続


 両陛下は皇太子時代から節電を心がけてこられた。第1次オイルショックが起きた昭和48年、陛下が40歳を迎えた誕生日の記事には、電気スタンドをつけず、薄暗い部屋で読書されることがある、と報じられている。


両陛下は、今回の自主停電では、ブレーカーを全部落とされているわけでない。御所には配電盤がいくつもあり、防犯や防災など安全に関わる部分や両陛下の医薬品を管理する冷蔵庫の電源は、自主停電の間も電力を切ることはなかったそうだ。「不必要な部分を徹底的に洗い出し、節電するのが両陛下のなさりよう」と側近は話す。

 東京電力では、「電気の需給バランスが著しく改善した」として、計画停電を8日から「原則不実施」としたが、実は両陛下は自主停電をその後も毎日続けられている。計画停電が終わっても、東電では「やむを得ず計画停電を実施する場合」のスケジュールを発表し続けており、両陛下はこれを利用されているようだ。

 夏場に打ち水をするなど、節電のため日頃から工夫している両陛下は、今月末で自主停電に区切りをつけ、通常の節電生活に戻られる。

 夏の電力不足は不可避といわれ、都心部でも不安が広がる。こうした中、身の回りのことに目を向け、黙々と行動する両陛下のご姿勢は示唆に富む。側近は「両陛下は、苦境の中で『国民に模範を示せれば』というお考えもあるのではないか」と話す。



お見舞い「1人でも多く」 前に進む勇気、お与えに


3月11日午後2時46分。皇居がある東京都千代田区は震度5強を観測した。天皇、皇后両陛下は、宮殿にいらっしゃった。

 陛下は揺れに驚きながらもすぐテレビをつけ、状況を確認しながら国民を心配された。被害が明らかになるにつれ、短時間業務を離れても支障がない災害の専門家らを人選し、皇居に呼んで話を聞かれてきた。

 宮内庁によると、両陛下は当初から「一日も早く東北地方に入りたい」という意向を持たれていた。被災地に負担にならない時期を考えながら、3月30日に東京都内、今月8日に埼玉県加須市の避難所を訪問された。震災1カ月の節目が過ぎた14日には、被災地では初めてとなる千葉県旭市へ。22日も茨城県北茨城市を見舞っており、27日の宮城県訪問で、5週連続で避難所や被災地に足を運ばれたことになる。

 「震災、津波に遭った人たち、原発におびえる人たちを思いやり、頭がいっぱいになって、たいへん気が張っていらっしゃる。この国の人たちの幸せも不幸もわがこととして受け止めて、実践していかれる姿が現れていると思います」

 宮内庁の羽毛田信吾長官は、ハイペースで被災地訪問を続けられている陛下の様子をこう説明している。

 27日に両陛下が訪問された、宮城県南三陸町の歌津中学校体育館。いつものように両ひざを床につけ、一人一人に言葉をかけた両陛下が立ち去られる際、手を振る両陛下に「ありがとうございました」とあちこちから自然に声が上がった。声は広がり、最後は大きな拍手となって両陛下を送った。

 佐藤仁町長は「感激ですね。一人一人に声をかけることはなかなかできない。前に進まなければいけないと、自分も改めて感じた」とし、こう付け加えた。

 「被災者のああいう笑顔を見られたのは初めてです」


皇居では東日本大震災によって、祭祀を司る宮中三殿でも、耐震補強していない場所で一部、柱がずれるなどの被害が出た。

 震災発生から10日後、3月21日の春分の日に行われた祭祀(さいし)「春季皇霊祭・春季神殿祭の儀」。余震が続いていたことから、宮内庁内では「今回は天皇陛下ではなく、儀式を司る掌典の代拝にすべきではないか」という声が出た。

 だが、両陛下の希望があり、結局陛下はモーニング、皇后さまは洋装で祭祀に臨まれた。通常は着物で臨むが、万一緊急に避難する必要性が出た場合のことを考え、殿上には昇らずに拝礼される「異例の措置」(宮内庁)が取られた。「普段から祭祀にはご熱心だが、震災のこともあるので、ご自身で拝礼されたい思いが特に強かったのではないか」と祭祀関係者は語る。

 宮中祭祀は主なものだけで年間20回余り。通常、祭祀の関係者以外はその場におらず、撮影された写真や映像が国民の目に触れることはない。両陛下は皇居の森の中で、ただ静かに祈られている。



 平成3年7月10日。両陛下は雲仙・普賢岳噴火の被災地見舞いに、長崎・島原を訪問された。両陛下にとり即位後、初めてとなる災害被災地への訪問だった。

 島原の最高気温は33・2度。過去の被災地訪問で両陛下に同行した宮内庁関係者は、厳しい条件の中で行われた、両陛下の被災地訪問の「原点」を語る。


通常、両陛下が地方を視察される前には、宮内庁職員が綿密な下見や打ち合わせを行うが、この時は被災地の負担を増やすことを懸念した両陛下のご意向を受け、「特別な対応はしないで、そのままにしてほしい」と県に伝えていた。避難所での予定は「ここから入り、ここから出る」程度のぶっつけ本番。「入り口に入り乱れて置かれた靴の中から、陛下の靴を探して出口に持っていくのも苦労した」という。

 「平成の天皇陛下を象徴するスタイル」といわれる、ひざをついて被災者と懇談される姿は、このとき初めてみられた。この元側近は「びっくりした。立って、座っての繰り返しは、お体にこたえるはず」。

 長崎空港では、飛び乗るように帰りの民間機へ。元側近は「乗り込む際、皇后さまの首筋は日に焼け、真っ赤に腫れていらした。女官長が、冷たいタオルを首に巻いていた」と振り返る。そして、今回もすべて日帰り訪問を続けられている陛下と皇后さまをこう案じた。

 「雲仙を見舞われた当時でさえ、お疲れになったのではないかと心配した。両陛下は『一人でも多くの人に』という思いでお見舞いされる。無理をなさらないように。本当に心配しています」。雲仙への見舞いから20年。陛下は77歳、皇后さまは76歳になられている。



 各地の避難所、被災地への「祈りの旅」を続けられている両陛下。災害のたびに国民の精神的支柱となってきた皇室の歴史や、側近らのエピソードを交え、そのお姿を伝えたい。



今日ボクが見た風景


ひふみ神示

Category: 日出処ノ天子  








日月神示(ひつきしんじ)は神典研究家で画家でもあった岡本天明、1897年(明治3 0年)12月4日1963年(昭和38年)4月7日に「国常立尊」(別名、国之常立神­)と呼ばれている高級神霊より自動書記によって降ろされたとされる神示、神典である。­原文はほとんどが漢数字、かな文字、記号の混じった文体で構成され抽象的な絵のみで書 記されている「巻」も有る。

その難解さから当初は書記した天明自身もほとんど読むことが出来なかったが、仲間の神 典研究家の協力などで少しずつ解読が進み天明亡き後も妻である岡本三典の努力により、­今では一部を除きかなりの部分が解読されたと言われている。しかし、一方では神示の中­に「この筆示は8通りに読めるのであるぞ」と書かれている箇所もあり解読法の一­つに成功したという認識が関係者の間では一般的で、その為に仮訳と言う副題を添えての­発表も有った。なお、日月神示の構成は本巻38巻と補巻1巻の計39巻から成る。別名 「ひふみ神示」または、「一二三神示」とも呼ばれる。

吉兆

Category: 日出処ノ天子  



『木花咲耶姫(このはなさくやひめ)様からの神示』より

天皇家 神世の時、始めに神の作られし国なるは日本なり。
大和の国なり。
神の言葉を許されし、言葉も姿も一番神に近しい民族なる。
神は太古の昔、人と共にありき。
人の幸せに役立つように様々な神の教えを伝えん。
人は神に感謝を捧げ、神に仕えたる。
時が経つにつれ、人の中に我が芽生え神との縁を切り、
離れる者も­現れ始め、それゆえ、神との間を繋ぎゆく人間の長を選ばれり。
そが天皇家の元となりたる一族なる。
神の伝え、神の御意図を人に伝え、国の繁栄、人々の幸せ祈る役割­の一族なる。
神に選ばれし一族なり。
人々の尊敬と信頼集め、日本の長となりて日本を支えるなり。
一族の中にても最も神に近しき者が天皇なり。
天皇家も今は象徴とされ飾り物なれど、神との交信の力は残りぬる­。
天皇家ありての日本なり。
天皇家滅びるなれば日本国も滅びるものなり。
日本は天皇を長とし、神との交信為し、神と共に生きるを許されし­民族なり。
神に一番近い国なるは事実の事なり。
今の世、人の心から神は忘れ去られ、それどころか神への偏見、軽­視、神なぞ信じぬと申す者あり。
今の天皇家の姿はただの象徴なりて、人の言いなりにて意志も通ら­ず、
このままなれば、やがて地球も滅びん。
戦後、飾りとされた天皇家は現代の風潮に飲み込まれ、天皇家とし­ての威厳を忘れ、過つなり。
宇宙の摂理もおかさん。
されど神は許され、奇跡を起こされん。
天皇家滅ぶは日本の未来無きゆえなり。
今の日本は混乱の時なり。
全て原因結果の法則によるものであるこ­とを忘るるなかれ


$今日ボクが見た風景
2006年5月25日 パステルカラーに彩られた雲「彩雲」が観測された。これからおこることの吉兆



小泉内閣時、女性天皇容認、
皇室典範改正の雰囲気が色濃くなって­いたあの時期に悠仁様の御生誕・・・
やっぱ何か「もってますね」
­

$今日ボクが見た風景
2006/09/06 秋空染める双子の虹 帯広


悠仁親王殿下のお生まれになった日をよく見てみると…
日本皇紀では2666年、6が3つでミロク。
平成18年は3×6のこれまたミロク。
また9月6日は9と6で陰陽和合を象徴する日。
…偶然にしては出来すぎています。




花言葉は「愛国心」
他には「勝利」という意味もあります。



$今日ボクが見た風景
名古屋市中区の「ランの館」で、秋篠宮さまが手植えされたラン
「プリンセス・キコ」が、紀子さまの懐妊が明らかになった直後に偶然開花


静かに明くる夜の帳(トバリ) 瑞雲(ズイウン)こむる大八洲(オオヤシマ) 
朝日(アサヒ)直射(タダサ)すこの国に 今喜びの声満ちて 
日嗣(ヒツギ)の皇子(ミコ)は生(ア)れましぬ 日嗣の皇子は生れましぬ

「奉祝歌」より


世界の盟主 A・アインシュタイン博士のお言葉     

Category: 日出処ノ天子  

近代日本の発達ほど 世界を驚かしたものはない


この驚異的な発展には 他の国と異なる何ものかがなくてはならない

 果せるかなこの国の 三千年の歴史がそれであった


  この長い歴史を通して 一糸の天皇をいただいているということが、

今日の日本をあらせしめたのである。

私はこのような尊い国が 世界に一ヶ所位なくてはならないと考えていた

なぜなら世界の未来は進むだけ進み


  その間幾度か戦いは繰り返されて 最後は戦いに疲れる時がくる

その時人類はまことの平和を求めて 世界的な盟主を挙げねばならない

 この世界の盟主なるものは 武力や金力ではなく


  凡ゆる国の歴史を抜き超えた 最も古くまた尊い家柄でなくてはならぬ

 世界の文化はアジアに始まって アジアに帰る

 それはアジアの高峰 日本に立ち戻らねばならない

 吾々は神に感謝する


 吾々に日本という尊い国を 作って置いてくれたことを・・・






今日ボクが見た風景

20世紀が生んだ、大科学者アインシュタイン博士の言葉です











先帝陛下が殉国七士を親拝された事実-秘史を明らかに!

Category: 日出処ノ天子  


ゲストの若狭氏に依ると、昭和54年の5月、愛知・豊田市で開かれた植樹祭にお出まし­になった先帝陛下が、わざわざ不便な"グリーンホテル三ヶ根"にお泊りになられ、早朝­に同地にある殉国七士(いわゆるA級戦犯)の墓碑に向かって長い間直立不動の姿勢をと­っておられた事実があるそうだ。
昭和帝がA級戦犯を忌避しておられたとは笑止と述べる若狭氏。
GHQの悪意により、七士が処刑された12月23日は今上陛下のお誕生日。多くの国民­が祝賀してくれる日を慰霊の日にするのは先帝としては当然忍びないお気持ちであったこ­とは自明のこと。畏れ多いことだが、私も上記のことは先帝なりの慰霊をしておられたの­だ、と思う。

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