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中国 チベット独立封じる姿勢強調

Category: チベット  
中国 チベット独立封じる姿勢強調
★中国 チベット独立封じる姿勢強調

 先週、アメリカのオバマ大統領が、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世と会談したことに
強く反発している中国は、チベットに軍が進駐してから60年となるのを記念する大規模な式典を開き、
チベットの独立を目指す動きを徹底して封じ込める姿勢を強調しました。

 中国チベット自治区の中心都市ラサでは、19日、中国の軍が進駐して60年となるのを記念する
大規模な式典が開かれ、習近平国家副主席が出席しました。この中で習副主席は、先週、
アメリカでオバマ大統領と会談するなど活発な外交活動を続けているダライ・ラマ14世について
「チベットの独立を目指す動きで、祖国の統一を脅かしている」として強く非難しました。

 そのうえで「統一を損なう企ては打ち砕かなければならない」と述べ、
こうした動きを徹底して封じ込める姿勢を強調しました。
ラサでは今月に入って、軍の進駐から60年を記念するさまざまな行事が相次いで行われており、
その様子を中国中央テレビなどの国営メディアが連日伝えています。

 しかし一方で、ラサへは先月下旬から来月上旬まで外国人観光客の立ち入りが禁止されているほか、
現地の住民によると、市内は厳重な警備態勢が敷かれているということで、中国政府は、
チベットの独立を求める運動が活発になることに神経をとがらせています。

NHK http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110720/t10014314121000.html

▽過去スレ
【中国】 「チベットの若い僧侶に愛国教育を」 チベット情勢で会見、中国政府が主張
http://news24.2ch.net/test/read.cgi/wildplus/1207218324/
【自民党】 チベット騒乱で伊吹幹事長「中国がダライ・ラマとの対話のチャンネルを開いていることが、伝えられていない」と中国を擁護
http://news24.2ch.net/test/read.cgi/wildplus/1208549796/
【政治】 太田誠一自民党人権問題等調査会長がダライ・ラマ14世と会談 「チベット独立問題は中国の内政問題だ」との認識を確認
http://news24.2ch.net/test/read.cgi/wildplus/1207866018/
【中国】 報道の自由が拡大 外国人記者の取材制限を緩和 開かれた国をアピール チベット自治区など全土が対象
http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1167883459/

2 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:09:47.00 ID:p4TA3V6Z0
フリーチベット!(`・ω・´)

3 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:10:15.98 ID:d7obfnZV0
江沢民が息を吹き返した理由はこれか

4 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:10:32.44 ID:qFZa3JUt0
3なら中国、韓国、民主党絶滅


5 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:11:25.81 ID:a2f8wGHs0
「中国 チベット独立封じる姿勢強調」
もし日本の報道機関だったら
「中国 チベット侵略の正当性を強調」
って標題になるよな

6 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:12:24.52 ID:HXc1KrZI0
チベットも香港も台湾も独立でいいよ。

7 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:13:23.57 ID:DKUAhiDp0
中共に人権の概念はないな

8 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:15:02.61 ID:FN2YSWpp0
独立封じるって、もともと独立国に勝手に侵攻しただけだろが

9 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:17:03.69 ID:QGR4XZXh0
なんで、世界の中心である中国が、
チベットみたいな小国にこだわるの?

10 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:18:34.07 ID:FN2YSWpp0
>>9
資源があるからでは

11 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:18:58.96 ID:3igzByAL0
ちゅうごくってこわ~い
オバマ大統領ってダライラマと会談してたんだよねぇ
管総理もやらないの?

12 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:19:19.39 ID:Mj1sRnZ+0
中国人はあたかもチベット人が自ら進んで中国語を勉強し富を求めて中国の都会に出、
男は学歴と職を求め、女は中国人の男に嫁ぐことに憧れると言っているけどな。

13 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:20:02.35 ID:IU6huCsU0
アグネスは何で黙ってるの?

14 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:20:35.79 ID:fz6bSLhVP
チベットも大変ですね。

15 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:20:46.27 ID:PLOn2Ikx0
人類史の恥

16 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:21:43.65 ID:QBW3wY8a0
チベットが解放されてすでに60年も経過してるんだから
いまさら独立もないだろ

17 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:21:44.03 ID:QGR4XZXh0
>>10
資源なら、南アメリカでもいいと思うんだけど。

18 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:22:34.08 ID:4sAIqDS80
中国がっつきすぎだろうw

19 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:22:59.64 ID:Mj1sRnZ+0
>>12訂正
憧れると言っている→憧れるかのように言っている

20 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:24:47.87 ID:QBW3wY8a0
>>9
チベット独立政府はインドの傀儡だから
もし独立を許せばインドの中国侵攻の足がかりにされてしまうから中国も必死なんだよ

21 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:25:07.73 ID:Mj1sRnZ+0
>>16
なぜ解放されているのに独立国ではないんだ?

22 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:25:34.03 ID:KqlqJWcrO
東南アジア+日本+米で中国滅ぼそうぜ

23 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:27:50.13 ID:QGR4XZXh0
>>20
いや、
そういう細かいことに拘らなくていいほど、
中国って大国なんじゃないかと思ったんだ。

24 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:29:03.37 ID:QBW3wY8a0
>>21
せっかく資本主義者や宗教的な独裁からチベット人民を解放したんだから
それを維持して反革命を防止するためには人民解放軍の駐留は必要なんだよ

25 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:30:24.30 ID:FN2YSWpp0
マジモンか
貴重だ

26 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:31:16.86 ID:o05RDtdh0
                  ∧ ∧    ○
    ( ・ω・) ?       (;`・ω・) ○ ○ ポンデライオン作るよ!
    /   i         /   o━ヽニニフ))
  .c(,_uuノ         しー-J

      ペタペタ…
    ○      ∧ ∧
    ( ・ω・○ヽ(・ω・´)
    /   i   ○c ヽ
  .c(,_uuノ    しー-J

        モッチモッチ !
   ○○○      ∧ ∧
   ○・ω・○   ⊂(・ω・´) できたよ!
   ○○○
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  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
         FREE TIBET!!
         FREE TIBET!!

27 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:32:12.90 ID:hdV1mYTj0
2chのチベットブームも大分下火だなw

28 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:32:18.01 ID:Mj1sRnZ+0
>>24
中国人の勝手な言い分を代弁しているだけだな。
そんなことはチベット人にはありがたくもなんともないぞ。

29 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:33:34.38 ID:Z8xsMXAs0
開放と言う名の支配
中共カルトは逆言葉を使うのがパターンだな

30 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:33:50.53 ID:wSnmzIf00
独立も何もチベット国はチベット国。中国の問題では無い。

31 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:34:10.97 ID:T5LeX0DgP
チベットやウイグルの辺りって油田があるんだっけ?

32 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:34:19.60 ID:pLndbVSf0
>>24
それ国連平和維持軍ならまだ判るが、少なくとも中共の出る幕じゃないな
21世紀になって随分立つのに前時代的な侵略とか、どこの未開人だよって話だ
中国共産党は地球の癌だわ

33 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:34:43.28 ID:myMQI7W7O
次にチベットが独立するのは200年後ぐらいだろ。
基本的に中国の支配下に入った国は中国の国力が衰退するまで独立はないよ。

これは中国史を勉強すれば分かること。

34 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:34:51.64 ID:Mj1sRnZ+0
単なる侵略軍なのに「解放軍」などとはおこがましい。

35 :かじ☆ごろ ◆Yz9QIyoH3k
:2011/07/20(水) 02:35:37.27 ID:dVBsq17v0
中国は広い領土の割に兵力が乏しいから二正面戦争に
は耐えられないだろうし包囲戦ヤルと面白そう。

36 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:35:44.72 ID:9po7EvW40
逆に中国が押さえ込んでるってのが強調される

37 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:35:50.40 ID:KqlqJWcr0
>>6
ウイグルも忘れないでやってくれ

38 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:36:10.79 ID:fQYzeJLm0
当然だな。琉球独立はネット右翼さえ認める者いるが、
では北海道や四国が独立すると言い出したら平気か?
それと同じだ。
ダライさえ中国から独立求めてないと一応言うし、アメリカもチベットは中国と認めている。
しかし、ダライは悪賢い。
独立求めないと言いながら、高度な自治を要求し、それを足場に分離独立をねらうという魂胆だ。
中国の一部であるなら中央政府の指導に従うべきだ。
インフラを整備し、教育機会与え、少数民族対策で優待されて
多くのチベット人は党に感謝はするが敵意などない。
デモや暴動、テロするのは分離独立の野望にとりつかれたダライ一味によるもの。
チベット密教で人民を洗脳支配し、文明社会から隔離するなど現代に許されない。
我々サンフット!は、中日友好を鵬式太極拳を通して訴えます。
生まれ変わりだの、活仏だの子供だましの教義でチベット民族を支配する堕僧から
人民は解放されなくてはならず、それができるのは中国共産党だけだ。

39 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:36:59.67 ID:uvXQNMWgO
>>34
自己洗脳ってやつだろ

40 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:37:02.35 ID:pSFALPpn0
近い将来、中共はナチの残党のような末路をたどる。

41 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:37:10.97 ID:QBW3wY8a0
>>29
それを言うならアメリカの「民主化」とは何なんだ?

42 :名無しさん@十一周年:2011/07/20(水) 02:37:46.42 ID:EU7E4LKL0
この問題は中国包囲網をつくるのに最適なんだがな
欧米・東南アジアを巻き込んで締めあげていけばよい

43 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:38:12.60 ID:6TMErrBp0
満州、内モンゴルのように人口で圧倒するつもりだろ。

44 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:38:13.23 ID:aNtWjIvc0
内政干渉だろ
ネトウヨは馬鹿だ

45 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:38:33.62 ID:pLndbVSf0
>>41
少なくとも中国人みたいな武力弾圧はしてねーな
一応主権回復させてるし
民族浄化なんかマジでやってる中国人に比べたら、ナチスが可愛く見える

46 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:38:48.92 ID:tq+xHZH00
3年前に個人でラサからカトマンズに抜けた経験がある俺に何か質問あればどうぞ。
チベット仏教の知識もそこそこあります。

47 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:38:54.82 ID:Mj1sRnZ+0
>>38
北海道や四国は日本の生まれついての体の一部と同じ真正な一部だが、
チベットは中国の真正な一部か?

48 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:38:57.57 ID:O2QJoza+0
http://www.youtube.com/watch?v=YB9txMLnELM

これが中国人

49 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:40:52.66 ID:pLndbVSf0
>>46
人民解放軍が、何かにつけてチベットの人達殺して回ってるのは続いてるの?

50 :かじ☆ごろ ◆Yz9QIyoH3k
:2011/07/20(水) 02:40:55.14 ID:dVBsq17v0
>>40
アメリカの動きを観てると中国を潰す気なんだと分かるもんね。
恐らく小さな切っ掛けで大戦に突入するんだろう。

51 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:41:03.04 ID:KqlqJWcr0
>>38
縦じゃないよな?  読み方がわからん

52 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:41:33.68 ID:zyNn3wIdO
歴史的にみても中国の領土は万里の長城の中


53 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:41:39.37 ID:O2QJoza+0
>>47
パンチェンラマ11世どこいった?

54 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:41:49.27 ID:V3rl/QIM0
中国で銭儲けしてる企業もそろそろ潮時だと思うんですけどね

55 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:41:53.98 ID:QBW3wY8a0
>>48
上海や北京はウイグル人の子供のスリが多いよ
ウイグル人を見たら持ち物を盗まれないように注意した方が良いよ

56 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:42:02.07 ID:/4bJen3a0
てめーら死ね。俺の本当の話でも聞け。
川上みえこはビクターとかの机に糞を置きざりにし、
NHKの小学校の番組では、小学生に説教して糞を投げたり、食ったりした。

江国は霊になって、YOUTUBEの心霊画像集にも出るし、画像で見ても町田康は分身するし、
いい世の中だよなー。



57 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:42:03.84 ID:P720ABe4O
中国のニュース聞くと
大昔中学か高校のテストで出た「中国=眠れる獅子」を思い出すんだよな
もちろん米国目線だろが
最近の教科書でも同じように習うのかな?

58 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:42:47.00 ID:K+sb9yhNO
東側が使うにしろ西側が使うにしろ、「解放」というのは多くの場合、俗世間からの解放を差します

59 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:45:32.25 ID:Mj1sRnZ+0
>>53
知らん。それが逃亡したということをもってチベットは
中国の物と認められたという身勝手な論理なのか?

60 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:45:37.11 ID:Ttpl0VjH0

ID:QBW3wY8a0

はい、注目。中国共産党の広報部さんですよ。


61 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:46:01.14 ID:K+sb9yhNO
チベット風に言えばポアですね。共産主義者も以外と宗教に理解があるでしょう?

62 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:46:28.68 ID:HXc1KrZI0
>>57
獅子ではないな。
ロシアと同じハイエナだな。

63 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:46:34.68 ID:b7ndwcuE0
60年以上前のこと南京南京と五月蝿いからチベットも侵略された侵略されたとしつこく言おうね。

64 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:46:40.46 ID:3VHXUFXa0
中国にとってチベット持ってるうま味ってなんなの?

65 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:46:44.82 ID:SceGdK5d0
【鳴霞】中国人民解放軍の正体[桜H22/7/1]
http://www.youtube.com/watch?v=YCRshjC1G38

中国人は、国土の島を守る無防備なベトナム人を軍艦で虐殺、侵略した。
中国海軍の犯罪の証拠:ベトナムチュオンサ諸島における惨殺
http://www.youtube.com/watch?v=Gz_mo9lhe0E
5分過ぎ…体を張って岩礁に立つベトナム人に一斉射撃
しかも37mm砲で…これが中国のやり方です。弱い相手には容赦なし…

中国の身勝手な領土戦略 東アジアの支配を正当化する戦略的国境線
http://www.youtube.com/watch?v=2XzqzAxAY2Y
シナ中共が目指す戦略的国境線によると、沖縄はおろか日本本土の海域まで達している。
日本を侵略する気満々である。杞憂ではない。マスコミが報道しないだけで非常にやばい状態。

支那中共は侵略現行犯!!チベット・ウイグル・モンゴル人等55の国に独立を!!
http://www.youtube.com/watch?v=mP83-y2tglM

1988年3月チベットで行なわれたこと
http://www.youtube.com/watch?v=ACwJcQit3m0
チベットにおける中国軍の蛮行
http://www.youtube.com/watch?v=hTKNENM2WoQ

マンガで知るチベット問題
小林よしのり 「ゴーマニズム宣言」「見ぬふりされてるチベットでの民族浄化」
http://www.geocities.co.jp/my_souko/koba_01.htm
業田良家 チベット漫画 「慈悲と修羅」
http://www.geocities.co.jp/my_souko/goda_01.htm

【国際】 「中国共産党は中国を滅ぼし、世界を破滅に向かわせている」 ~米著名経済学者ピーター・ナヴァロ氏
http://raicho.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1308039742/
【国際】 米ニューヨーク・ポスト紙「中国は手に負えない横暴な独裁国家」「ベトナムの支援要請を無視するな」
http://raicho.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1309700960/

66 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:47:00.24 ID:uE3lBf5qO
中国支持者=極左組織

わかりやすい

67 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:47:01.47 ID:tq+xHZH00
>>49
知り合ったギャンツェの30歳のチベタンは、二ヶ月に一度勝手に家に入ってきて、
荒らされていくと言っていた。
ダライ・ラマの写真を隠し持っていないか探すらしい。
見つかったら危険分子とされ収容所送り。

68 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:47:05.88 ID:H9gea3ZW0
>55
お前本質的に間違ったことを言ってるよな。

69 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:48:31.61 ID:2i3JjeIH0
60年も過ぎると独立を勝ち取るのは難しいね。当時10歳以上が寿命。
朝鮮半島の日本の統治は35年間。

70 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:48:43.32 ID:pLndbVSf0
>>67
収容所から帰ってきた人間て居るのかね?

71 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:49:04.84 ID:b7ndwcuE0
>>64
水資源とレアメタル。

72 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:49:21.49 ID:fQYzeJLm0
何が縦だ。そのまま素直に読め。
チベットは昔から、黄帝以来中華の一部だ。
仮に違うというなら今の琉球と同じだ。
沖縄県は今、日本の一部だろうが?違うか?あ!?
そして沖縄は琉球国王がいた独立国だっただろうが?
同じことだ。
それに、解放軍は僧なのに銃もち戦ったインチキ僧を相手にしただけで、
人民からは暗黒宗教からの解放で熱烈歓迎された。
ダライや台湾、アメリカが流すデマを信じるおろか者多いから困るな。

73 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:50:38.52 ID:FN2YSWpp0
二匹居るらしい

74 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:51:15.12 ID:b7ndwcuE0
支那人て頭悪そう。

75 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:52:14.24 ID:Ttpl0VjH0

二匹いるな(´・ω・`)

76 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:52:28.92 ID:pLndbVSf0
>>72
侵略者の詭弁乙
今年半分過ぎたけど、何人殺した?100か?500か?
ナチス以下だろお前ら


77 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:52:31.74 ID:RC1xBPVi0
>>71
泥棒だよな、中共情けねぇwww
まあ次に狙われるのは日本の水やら海やら食料だから笑ってられんが

78 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:52:55.28 ID:4gSYfq2z0
ファビョらないでマジレスしてほしいんだけど
なんでダニチョンって巣に帰らないわけ?
普通の人なら寄生虫呼ばわりされれば帰るはずなんだけど
このこと知った先祖は悲しむぞ?
現実見ようぜ


79 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:53:43.12 ID:Mj1sRnZ+0
>>72
沖縄県民は自ら日本人であることを望んだ。
少なくとも決して中国の一部と考えたことは一度もない。
沖縄人である俺が言うのだから間違いはない。


80 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:53:49.82 ID:tq+xHZH00
>>70
帰ってくる人もいるけど、心が砕けるまで拷問されるか、マインドコントロールで赤派になるか。
どちらにせよ、一度収容所に送られると家族以外はその人と接し難い感じになる。

81 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:54:03.28 ID:HMHbA9Hu0
>>72
チャンコロは侵略者


82 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:55:12.96 ID:pLndbVSf0
>>80
近代国家のやる事じゃねーな・・・・マジでナチスの方がマシだったのか

83 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:55:14.02 ID:yNlDPyQq0
しかし中国の帝国主義はホント恐ろしいな
南沙見てると実感するわ

84 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:55:28.27 ID:fQYzeJLm0
>>74 いいかげんにしろ!
漢字もラーメンも炒飯も火薬も発明してますが?
いろいろ頂いておきながら頭悪いからわからないんだな。

85 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:55:37.43 ID:iqDP9uC/0
日本ではありえない中国の日常
http://www.youtube.com/watch?v=YB9txMLnELM

86 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:56:17.17 ID:Xb2FUDao0
>>37
内モンゴルはモンゴルに返還すべき。

87 :名無しさん@十一周年:2011/07/20(水) 02:56:46.92 ID:EU7E4LKL0
日本人はまず中国人の経営する中華料理店に行かないことから始めよう
中国人を利することは結局チベットを見殺しにすることなんだよ

88 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:57:17.02 ID:Xb2FUDao0
>>20
逆に言えば中国はインド侵攻の足がかりのために
チベットを支配しているわけか。
インドがチベットを支援するのも当然だな。

89 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:57:32.13 ID:pLndbVSf0
>>84
ぶっちゃけそれお前等の先祖と違うだろ

90 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:57:41.33 ID:b7ndwcuE0
>>84
ならば国名変えろ。

「人民」「共和国」は和製漢語だぞ。

91 :わかったか?:2011/07/20(水) 02:57:39.91 ID:xPcFPHs70
>>9
チベットの独立を認めれば、中国の弱さを象徴するようなものさ。
ただでさえ、中国には民族が分かれているのに暴動を起こしかねない。
力でねじ伏せている国は、力で反抗されるようになれば舐められるからな。
その点、日本は偉そうにしてないから、ヤバくなればどっちに付いたとしても
弱虫程度で世界から反発されることはないだろう。

92 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:58:46.94 ID:K+sb9yhNO
独立なんてのは100年立とうが1000年立とうが可能。
というか国民や民族なんて絵空事なんだから、
フィクションの徹底さえ出来ればハナモゲラ族国家だって可能。
重要なのは近々の政治・社会・教育の情勢で、昔々どうだったかなんて関係ないのだ。

93 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:58:51.01 ID:CfIN35KI0
チベット侵略から60年か。

94 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:59:10.95 ID:CEQ5ExdUO
>>84
鶏ガラの薄いスープに歯ごたえの無い素麺みたいな麺のどこが美味いの?

95 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:59:13.54 ID:Xb2FUDao0
>>24
まずはチベットの国民投票で中国の支配の是非を問うんだ。
でないとお前等中国人の汚名は晴れないよ。

ついでに中国全土で国民投票して共産党の支配の是非も問うべき。
「非」と出たら、共産党は素直に解散しろよ。
後は国連軍が中国を支配してやるからさ。

96 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:59:51.24 ID:b7ndwcuE0
>>84
発明者は偉いがそれとお前とどう関係がある?
血縁妄想病患者か?>>91


97 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:59:51.22 ID:pLndbVSf0
>>92
でも武力で不当に弾圧して、非武装の市民に拷問や洗脳加えるとか無いわー

98 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:59:52.95 ID:FN2YSWpp0
断種ってかエスニッククレンジングってほんとにやってんのかね。
チベットの女性と支那人を結婚さすとか。

99 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 02:59:58.08 ID:xIr+qVLiO
これを受け国連は、中国を常任理事国から除名すべき。

100 :名無しさん@12周年:2011/07/20(水) 03:00:17.36 ID:Aif0b+Jp0
>>64
資源とインド方面への足掛かりだろう。

同じくブータンに湧くマオイストも同様。
あらゆる手段で併呑しようとする領土的野心のあらわれである



赤文字=鬼畜支那竹


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「昨年春以来、さらに過酷で残酷」 中国のチベット弾圧で米議員ら

Category: チベット  

「昨年春以来、さらに過酷で残酷」 中国のチベット弾圧で米議員ら

2011.7.16


 【ワシントン=古森義久】米国の「中国に関する議会・政府委員会」が開いたチベット問題についての討論会でオバマ政権の高官や上下両院議員は、中国当局のチベット族弾圧について「昨年春以来、さらに過酷で残酷になった」などと激しい非難を展開した。オバマ大統領が中国の反対を押し切ってダライ・ラマ14世と会談する背景には、中国の少数民族問題に対するこうした議会・政府の強い姿勢がある。

 対中批判が噴出したのは、同委員会による「ダライ・ラマの今後の役割」と題した討論会で13日に開かれた。議長のシェロッド・ブラウン上院議員(民主党)は中国当局がダライ・ラマとの対話を拒んでいることを批判。「(中国当局による)チベット族の言語、文化、宗教に対する攻撃は意図的、かつ政治的」で、弾圧は昨年春から激しさを増していると強調した。

 ティム・ウォルツ下院議員(民主党)も、現在数百人のチベット族が「政治犯」として不当に拘束されていると証言した。


オバマ政権を代表して発言したマリア・オテロ国務次官(チベット担当特別調整官)は、学校教育でのチベット語の禁止やチベット仏教の儀式の制限を批判し、「中国は多様な文化を自国の主権への挑戦と受け取っているが、誤りだ」と述べた。同次官はまた、中国政府がダライ・ラマとの対話を始めることがクリントン国務長官の願いだとした。

 チベット人の代表たちも討論に参加。ダライ・ラマ支持の集会に参加しただけで懲役22年の判決を宣告され、11年を刑務所で過ごしたという女性、ナガワン・サンドロルさんも「何度も拷問を受けたが、米国の圧力で解放された」と述べた。

 中国当局が身柄を拘束しているチベット族の政治犯のうち30人についての実情も公表され、弁護士、作家、僧侶、教員、芸術家などチベット民族の権利や文化の保存に活動してきた男女の逮捕と拘束の経緯などが詳しく報告された。


http://sankei.jp.msn.com/world/news/110716/amr11071622510014-n1.htm








キルティ僧院に対する中国の残忍な行いについての、
日本の皆さまへのメッセージ

http://ameblo.jp/hinoeuma-v/entry-10937704398.html


チベット問題(消される記事)抗議行動を行って殺されたチベット人

http://ameblo.jp/hinoeuma-v/entry-10911313559.html





中国の民主化に期待=米でダライ・ラマが講話

Category: チベット  
中国の民主化に期待=米でダライ・ラマが講話[07/10]
 【ワシントン時事】訪米中のチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世は9日、ワシントンの連邦議事堂前で開かれた集会で講話を行い、
中国の将来の民主化に期待感を表明した。
 インドに亡命中のダライ・ラマはチベットへの帰還を望んでいるかと問われたのに対し、「はい」と即答。その上で「(中国で)自由や民主主義、
法の支配を求める声は確実に高まっている。状況は間違いなく変化するだろう」と語った。


jiji.com: 2011/07/10-07:53
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2011071000016

関連スレ
【中国】ダライ・ラマとの会談、米国政府高官に自粛求める=中国外務省[07/08]
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1310119260/



2008年03月19日

ある尼僧の証言

何か事件が起きた時、僕たちはその出来事の概要をニュースで知りますが、
そこでいったい何が起きているのかということを、肌で実感するまでには至りません。

ここにガワン・ワンドゥンさんという一人のチベット尼僧の証言があります。

彼女がデモで逮捕された当時はまだ15歳でした。


少し長いですが、ぜひ最後まで読んでください。


・・・・・・・・・


シェーラブ・ンガワンが亡くなってから、もう何年も経つけれども、
1日たりとも彼女のことを忘れたことはありません。
彼女は、わずか17才でこの世を去りました。


私はメドクンガという小さな村で、1977年に生まれました。

メドクンガは、チベットの首都ラサからバスで4時間程離れた貧しい村です。
村人は、わずかな家畜と痩せた畑からできる農作物より生計を立てています。
畑には大麦を植え、それを炒った麦焦がしが私たちの主食でした。

村には学校が1つだけありました。
3年間の初等教育を学ぶことができましたが、子供たちは幼いころから、
家畜の世話や農作業を手伝わなければならなかったので、学校に通える子供はわずかでした。

私は、14才の時にラサのミチュンリ寺にて出家しました。
1991年のことです。
シェーラブ・ンガワンも同じ年に出家しました。
確か彼女が13才のときのことだと思います。

ラサには割と大きな尼寺が5つほどありますが、当時、すでに多くの尼僧たちがチベット独立のデモに参加し、
逮捕されていました。

デモに参加すれば、懲役を受けるのはもちろんのこと、拷問や厳しい強制労働を味わうはめになることは、
みんな承知していましたが、それでもデモに行く者は絶えませんでした。
私たちの寺からも、多くの尼僧たちがデモへと繰り出し、そして逮捕されていきました。
私もいつの日にか、デモをすることがチベット人として当然の義務のように感じるようになっていました。

1959年、ダライ・ラマ法王がインドに亡命してしまうと、中国はチベットを巨大な強制労働キャンプへと変えてしまいました。
何万人、いや何十万人といた僧侶たちは、すべて監獄へと放り込まれ、家畜以下の取り扱いを受けました。
そして、実にチベット人の5分の1にあたる120万もの命が、拷問や餓えによって失われていったのです。

1980年、毛沢東が亡くなるまで、チベットには1人の僧侶もいませんでした。
それどころか、僧院のほとんどが壊されてしまっていたのです。

1980年、政権が変わると、多少の宗教の自由が認められ、寺の再建が始まりました。
生き残った僧侶たちが、ようやく寺に戻って来ることができたのもこの年でした。

でも、宗教の自由とは名ばかりでした。
出家者は厳しく当局から監視され、出家者の数も制限されていました。
私たちの唯一の心の支えであるダライラマ法王への信仰は固く禁止され、
代わりに共産党教育の講義を寺で受けねばなりませんでした。
全ての利権は中国人の手に握られていて、チベット人は自分たちの国であるというのに、
中国人の許可がなければ、移動することですらままなりませんでした。

1987年9月27日、デプン寺の僧侶たちが、ラサで初めてのチベット独立要求のデモを行うと、
次々にデモが続くようになりました。
そのほとんどは、僧侶や尼僧によるものでした。
出家の身である私たちには、養うべき子供も家族もいないため、
みんな喜んでチベットのために犠牲になることができます。
シェーラブ・ンガワンも幼かったにもかかわらず、チベット独立のために行動するという意志は固く、
そのためには何でもすると言っていました。

1992年2月3日、私とシェーラブ・ンガワンを含めた5人の尼僧、
そしてセラ寺の僧侶の計6人でデモを行いました。
チベット人のデモは過激なものでは全くありません。
ただ、ラサの中心地にあるジョカン寺の周りの右繞道(パルコル)で
「チベットに自由を!ダライ・ラマ法王万歳」と叫ぶだけなのです。

私たちが、パルコルでスローガンを叫ぶやいなや、すぐに公安が駆け付けました。
公安は私たちを棍棒で殴り倒すと、トラックへと放り込みました。

私たちは全く抵抗しませんでした。
こうなることは、初めから覚悟していたことなのです。
セラ寺の僧侶は頭から血を流していました。
ひどく痛むのか、刑務所へと向かうトラックが揺れる度に、呻き声を出していましたが、
話し掛けることはできませんでした。

グツァ刑務所での尋問や拷問は覚悟していましたが、遥かに想像を越えるものでした。

中国人が聞きたいことは1つでした。
「一体、誰がデモを煽動したのか」

私が幾度も「みんなで話し合って決めたことだから、リーダーはいない。誰かに命令されたわけでもない。
自分たちの意志でやったのだ」と本当のことを言っても、彼らは納得しませんでした。

散々殴られた後、外に連れていかれ、刑務所の塀にむかって手をあげたまま立っているように命令されました。
体中が痛み、あげた手はまもなく痺れてきましたが、下ろすと看守から殴られました。
みんなはどうしているんだろうと仲間のことだけが気掛かりでした。

昼の1時~7時ごろまでそうしていたでしょうか。
やがて、トイレに行くことが許され、振り返ると、同じように仲間もそうさせられていました。
ひどく殴られたらしく、みんな顔を腫らしていました。
みんな別々に独房に入れられました。
ときどき看守がドアを叩くたびに、また尋問に呼ばれるのかとゾッとしましたが、
私の返事を確かめると去っていきました。

3日後、トイレ用のバケツを空けるために、はじめて外に出ることが許されました。
5日後から再び尋問が始まりました。
同じ質問が繰り返されました。
毎回殴られたわけではありませんが、拷問道具は常にテーブルの上に並べてありました。

3ヶ月後にようやく独房から出され、皆と一緒の監房に入れられました。
監房にはトイレがついているわけではありません。
隅に置かれたバケツがトイレでした。毎朝、1度だけ空にするだけだったので、監房の臭いはひどいものでした。

やがて、リーダーとみなされた1人の尼僧に6年の懲役が下り、
セラ寺の僧侶と他の尼僧には5年が、そして私とシェーラブ・ンガワンには3年の懲役が下されました。
私は15才、シェーラブ・ンガワンはわずか14才だったのにもかかわらず、成人と同じ刑が課せられたのでした。

朝から晩まで強制労働を課せられる日々が続きました。
私の仕事は、ビニールハウスや畑に肥料を蒔くことでした。
トイレから人糞を汲み上げ、畑との間を日に幾度も往復せねばなりませんでした。

1994年の8月10日の夜の10時頃ことでした。
私たちは歌を歌いました。
チベットが独立する日を夢見る歌、監獄のつらさを歌った歌、そしてダライラマ法王をたたえる歌を。

シェーラブ・ンガワンもいました。
監獄では政治囚たちは看守にみつからないように、こっそりとよく歌を歌います。
誰が作ったのかは知らないのですが、政治囚たちは歌詞をよく知っていました。
新入りの尼僧たちに、長くいる尼僧が歌を教える。
監獄の長い夜はよくそうやってふけていきました。
    
    ここダプチ刑務所からは空しかみえない
    空を流れる雲たち
    それが父や母だったら、どんなに素敵だろう
    監獄の友たちよ
    わたしたちはノルブリンカの花
    どんな雹や霜だろうが
    わたしたちのつないだ手を離れさせることはできない
    いつか必ず雲の後ろから太陽があらわれる
    だからそんなに悲しまないで
    たとえ太陽が沈んでしまっても
    こんどは月が照らしてくれる
    だからそんなに悲しまないで



その晩、私たちは隠れて歌ったりはしませんでした。
看守に聞こえるように歌いました。
そんなことをしたら、どんなことになるかぐらい分かっていましたが、私たちは敢えて歌ったのでした。

すぐに、監房から引きずり出されると、ロープできつく縛られ、激しい拷問を受けました。

ひとりの尼僧が気絶し、床に倒れ込みましたが、看守たちはそれでも殴るのをやめませんでした。
私たちは立ち上がれなくなるまで殴られた後、夜中の3時半頃、縛られたまま、
窓1つ無い独房に入れられました。
1畳程しかないその牢獄には、トイレ用の溝がある以外、寝具もベッドもありません。

そんな暗闇の中に、1週間も入れられていました。
1週間後、独房から引きずり出され、またひどく何時間も拷問を受けました。
耳は何度も激しく引っ張られたため、血だらけになっていました。

シェーラブ・ンガワンの小さな体も、ぼろぼろになっていました。
彼女の顔は腫れ上がり、すぐには誰だかわからない程でした。

それからです。彼女の言動がおかしくなったのは。

何でもすぐ忘れるようになりました。
記憶もちぐはくになり、変なことを口走ったりするようになりました。
いつも背中や腎臓、胸の痛みを訴えていました。
食欲も落ち、最後には何も喉を通らなくなったのです。
刑務所側は彼女の容態の悪さを知りながら無視をしていました。
何度も私たちが懇願した結果、ようやく病院に検査のためにつれていきましたが、
腎臓が弱っていると言っただけで、何の治療もしてはくれませんでした。

1995年2月2日、私とシェーラブ・ンガワンは刑期を終え、村に戻りました。
しばらくして彼女に手紙を書きましたが、返事は来ませんでした。

数カ月後、彼女が4月17日に亡くなったという知らせを受けました。
私は彼女の家を訪ねました。
家には残こされた両親だけがいました。
私たちは最初話すことができず、ただただ泣いてばかりいました。
釈放後、シェーラブ・ンガワンはラサの病院に入院したけれども、容態は好転はしませんでした。
そして、約2カ月後の4月17日、彼女は息を引き取りました。
体中の痛みに苦しんだ末のことでした。彼女の両親の嘆きは見ていてられませんでした。
まだ17才というのに、苦しみながら死なねばならないなんて。

シェーラブ・ンガワンを鳥葬した人はこう言ったそうです。
「こんなにひどい状態の若い死体は今まで見たことがない。腎臓も肺もボロぞうきんのようだったよ」と。

私たちと一緒にデモをした、もう1人の尼僧も亡くなりました。
プンツォ・ヤンキは、逮捕された時、19才でした。
5年の懲役を受けて服役していたのですが、1994年6月4日に亡くなりました。
彼女も1994年2月11日に仲間たちと歌を歌い、激しい拷問を受けたのです。
こうして、仲間の2人が拷問によって亡くなりました。

私は寺に戻ることを許されなかったので、仏教の修業と勉学を続けるために、インドに亡命してきました。
死んでしまった2人のことを外の世界に伝えねばという思いもありました。

ヒマラヤを越えるのは容易ではありませんでした。
体の弱っていた私は、道程のほとんどを仲間の背中におぶってもらうわねばなりませんでした。

釈放されてから、もう何年も経ちますが、いまだに拷問の後遺症に悩まされています。
特に腰と腎臓が悪く、先月も入院していました。


どうか、チベットがこんなにも悲惨な状況であることを忘れないで欲しいのです。
本当に心からのお願いです。



・・・・・・・・・



いま僕たちにできることは何でしょう。

せめて、今何が起きているのか、そして何故起きているのかを
少しでも知ろうとすることではないでしょうか。
彼女の話を過去のことと思ってはいけません。
今現在はさらに激しい取り締まりと弾圧が起きています。

今こうしている間にも、拘留された僧侶たちがどんな目にあわされているかを考えると、
無力感にさいなまれます。

http://abetoshiro.ti-da.net/e2030283.html



キルティ僧院に対する中国の残忍な行いについての、
日本の皆さまへのメッセージ

http://ameblo.jp/hinoeuma-v/entry-10937704398.html



中国の残忍な行いについて日本の皆さまへのメッセージ

Category: チベット  

キルティ僧院に対する中国の残忍な行いについての、
日本の皆さまへのメッセージ


Chinese brutalism at Kirti Monastery


周知のとおり、中国政府は最近、外国の旅行者とメディアにチベットへの渡航を禁止しました。 このことは、この地域が緊迫状況にあることを示し、そしてその政府は逆らう者を残忍に抑圧しています。

チベットにおいてチベット人は中国の規則の下で幸福ではないということは、頻繁に行われる平和的なデモによっても明確に示されています。たびたびチベット人は不当な取扱いに対する不満について詳しく説明しようとしましたが、中国当局はいつも、人々の切なる願いを無視し握りつぶしてきました。

今年の3月16日に、キルティ僧院のある若いチベット人僧侶は、中国当局の残虐と不正について異議を申し立てるために焼身自殺をしました。そして中国当局は、チベット人の不満について理解しようと試みるどころか、キルティ僧院の周囲を完全に包囲し、約300人の僧侶は逮捕され消息不明となっています。僧侶らとの連帯感を示した地元のチベット人は激しく殴打され、捕らえられ、拷問されています。

拷問と嫌がらせは「愛国教育」という名目の下、その地で今なお続いています。
中国警察が群集にむけて放った犬が、多くの罪もない人々に襲いかかったとの報告もあります。中国警察のこの行為は、中国当局がどのようにチベット人を見ているのかを明確に示しています。チベットへの外国の訪問者が制限されている今、閉ざされた扉の中で何が行われているか、我々は容易に想像することができます。

ボイス・オブ・アメリカ(ラジオ・ニュース)によると、2,500人もの僧侶がキルティ僧院の中に閉じ込められ、包囲されていると報じられています。60代の2人の女性が警察の蛮行と拷問で死亡しました。

国連はキルティ僧院の状況に懸念を表明し、中国当局は逮捕された僧侶らの所在について明らかにするようにと強く要請しました。
また、世界各国の政府および支持者は、中国指導者がより責任ある行動をとり、国際標準を遵守するよう促しました。

この事態に際し、認識と支持を広め、チベットでの拷問と殺害をやめるよう中国政府に対して要請してくださいます日本人の支持者の皆様に感謝申し上げます。
私は、この地における不正と殺害をやめ、一刻も早くチベットを訪問する外国人への規制を解くよう、中国当局に要請いたします。

2011年6月20日
ダライ・ラマ法王日本代表部事務所
日本・東アジア代表ラクパ・ツォコ

http://www.tibethouse.jp/news_release/2011/110621_KirtiMonastery.html



チベット問題(消される記事)抗議行動を行って殺されたチベット人

http://ameblo.jp/hinoeuma-v/entry-10911313559.html


チベット自治区 外国人受け入れ再び中止か

Category: チベット  

外国人受け入れ再び中止か チベット自治区

2011.6.11 17:42

 米政府系放送局のラジオ自由アジア(電子版)は11日までに、中国チベット自治区当局が今月初めから7月下旬まで外国人旅行客の受け入れを再び中止したと報じた。地元の旅行社が同放送局に明らかにした。

 チベット自治区は夏が最大の旅行シーズンだが、7月1日の中国共産党創建90年記念日を控え、チベット族住民の抗議行動を厳しく押さえ込むための措置とみられる。

 自治区では2008年3月にチベット族の大規模な暴動が発生し、以後は毎年3月前後に外国人旅行客の受け入れを中止。今年も隣接する四川省のチベット族居住地域で治安部隊と住民らとの衝突が伝えられており、当局が警戒を強めている。(共同)



チベット動揺ジワリ 僧侶自殺、デモ続発…中国当局、引き締め強化

2011.4.1

 【北京=川越一】3月28日の「チベット農奴解放記念日」をはさみ、中国当局の政策に抵抗するチベット族の示威行動が活発化している。民主化を求める中国ジャスミン革命との結合を恐れる当局は、3月中旬に起きた僧侶の焼身自殺に関する情報を遮断、武装警察をチベット自治区などに投入して警戒を強めている。

 同記念日は2009年に制定された。共産党機関紙、人民日報(28日付)が「共産党の指導でチベットの民主改革が始まった」と論じるなど、当局にとっては「解放」を祝う日。しかし、チベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ14世の支持者らにとっては、共産党による弾圧の歴史を想起させる“忌日”である。

 米政府系の自由アジア放送(RFA)などによると、中国四川省アバ・チベット族チャン族自治州では3月以降、チベット族によるデモが続発している。16日にはアバ県の格徳寺で、2008年チベット騒乱の武力鎮圧に抗議する1千人規模の集会が開かれ、21歳の僧侶が焼身自殺を図った。23日に壌塘県で行われたデモには約130人が参加したとされる。


当局は、チベット自治区のほか四川省、甘粛省、青海省などのチベット族自治州に武装警察や人民解放軍を投入し、警戒に当たらせているという。華僑向け通信社、中国新聞社によると、同自治区のパドマ・チョリン主席は27日のテレビ演説で、「頑なにチベット独立を画策し、封建農奴制の暗黒統治を復活させようとしている」と述べ、インド北部ダラムサラにあるチベット亡命政府を批判した。

 チベット自治区の区都ラサでは当局主導による記念式典を催し、チベット族の生活環境の向上をアピール。歴代のダライ・ラマが修行したデプン寺で開かれた座談会に出席した僧侶には「チベットの宗教・信仰の自由は十分に尊重されている」と共産党政権の政策を礼賛させた。

 当局は、ダライ・ラマの“引退宣言”を、死亡時のチベット亡命政府内の混乱を防ぐためと見ており、権限委譲後も亡命政府の動向を注視していく方針だ。




中国四川省 チベット族が抗議デモ 僧侶の焼身自殺きっかけ

2011.3.17

 亡命チベット人を対象とするラジオ局「チベットの声」(本部オスロ、電子版)によると、中国四川省アバ・チベット族チャン族自治州アバ県で16日、チベット族らが僧侶の焼身自殺をきっかけに抗議デモを行った。デモ隊は警官に殴られるなどし、多くが拘束されたという。

 16日は、警官の発砲で抗議参加者が死亡した2008年3月のアバ県の暴動から3年に当たる。中国当局はチベット暴動から3年を迎え、チベット自治区や周辺のチベット族居住区で厳重な警戒態勢を敷いていた。

 同ラジオによると、格徳寺の21歳の僧侶が16日午後、スローガンを叫び焼身自殺を図ったところ、近くにいた警官らがこん棒などでこの僧侶を殴打。チベット族の僧侶や住民らが抗議のデモを開始し警官隊が出動した。(共同)




チベット寺院で思想教育 中国、300人拘束情報も

2011.4.23 13:32

 中国国営新華社通信は23日、当局によるチベット仏教寺院の封鎖が伝えられている四川省アバ県で、地元政府が、僧侶に法制教育を受けさせるとの通知を出したと報じた。事実上の共産党による思想教育で、僧侶の反発が強まるのは必至。

 香港メディアなどによると、当局は300人以上の僧侶を拘束、外国人が同省のチベット族居住区に入ることも禁止し、緊張状態が続いている。

 地元政府の通知は22日に出され、僧侶に法律や宗教の戒律を学ばせるとしている。政府側は寺院に社会秩序を乱す僧侶がいるとしている。

 アバ県では3月中旬、チベット仏教寺院の僧侶が焼身自殺したことをきっかけに、当局と寺院側の対立が激化。これまでも、当局が僧侶を「再教育」のため別の施設に移すと通告し、治安部隊が寺院を封鎖していると伝えられてきた。(共同)




「全くの虚偽」と反論 チベット住民死亡で中国

2011.4.29 08:05

 新華社電によると、中国政府は28日、中国の治安部隊が今月、四川省アバ県のチベット仏教寺院で僧侶を拘束した際に住民2人が死亡したとの報道について「全くの虚偽だ」と反論する声明を発表した。(共同)




甘粛省チベット族自治県の銀行で爆発、多数の死傷者

2011.5.13 12:46

 中国国営新華社通信などによると、甘粛省武威市天祝チベット族自治県にある銀行で13日午前8時半(日本時間同9時半)ごろ、爆発が起き、約40人が重軽傷を負った。

 39歳の漢族の男が会議室に爆発物を投げ込み逃走。銀行資金を横領したとして、同銀行を解雇されたことに対する報復とみられる。同県は人口約21万人で、うち約3分の1がチベット族。(北京 川越一)




中国「チベット政策に一切影響なし」 亡命政府の新首相選出で

2011.5.19 17:45

 中国チベット自治区のバマチリン主席は19日、北京で記者会見し、チベット亡命政府の新首相にロブサン・センゲ氏が選出されたことについて「『亡命政府』がチベット人民の利益を代表すると、国際的にどの国が認めたことがあるのか」と述べた上で、中国のチベット政策には一切影響しないと強調した。

 主席は「『亡命政府』は違法組織だ」と主張。チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世側と対話を行うとしても、ダライ・ラマ個人の問題を話し合うだけで、亡命政府の活動はテーマにはならないとの立場を示した。

 またダライ・ラマがセンゲ氏に政治的権限を委譲した後、チベットに帰還できる可能性については「本人にかかっている」と述べ、チベット独立を完全に放棄することが条件と訴えた。(共同)




中国、チベット亡命政府の新首相との対話を明確に拒否

2011.5.30 20:54 (1/2ページ)

 【北京=矢板明夫】チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世(75)から政治的権限を移譲されるチベット亡命政府の新首相、ロブサン・センゲ氏(43)が中国当局との対話再開を求めていることに対し、中国政府系ウェブサイトは30日までに、「ダライ・ラマとその周辺者はチベット人民を代表する資格はない」とする論説記事を掲載し、対話を拒否する姿勢を示した。

 ダライ・ラマ14世の政治的ポストからの引退に伴い、4月に新首相に選出されたセンゲ氏は、中国からの独立でなく、「チベットの高度の自治」を求める従来の路線を堅持する方針を表明。昨年2月以降中断している中国政府との対話再開への意欲を示している。

 中国国内のメディアはこれまで、一連のチベット亡命政府の動きをほとんど伝えず、静観してきたが、28日に政府系サイト、西蔵ネットに「誰がチベット族を代表しうるか」と題する記事を掲載した。

 センゲ氏ら亡命政府の関係者を「ダライ・ラマの周辺者」と決め付け、「彼らはチベット地域の実情を熟知していない」「チベット住民による民主的な選挙で選ばれていない」などの理由をあげて、「彼らはチベット人民を代表する基本的な資格すらない」と断じ、チベットの高度自治問題について亡命政府と交渉する意思はないことを示した。

中国当局はこれまでに、2008年の北京五輪開催前などの時期に、国内外の圧力をかわすためにダライ・ラマ14世の代表との対話に応じたことがあったが、国際社会での知名度も低く、チベット住民に対する影響力もほとんど持たないとされるセンゲ氏の対話要求に応じる可能性は極めて低いとみられてきた。

 共産党で少数民族政策を担当する関係者の一人は「チベット仏教のもう一人の主要指導者であるパンチェン・ラマ11世は中国側に付いており、高齢のダライ・ラマ14世が死去すれば、チベット問題はほぼ解決する。私たちは亡命政府の新首相を相手にする必要はない」と述べた。




初の女性博士が誕生 チベット仏教で独人尼僧

2011.6.9 20:18



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チベット仏教哲学で「ゲシェ」と呼ばれる博士号を取得したドイツ人の尼僧ケルスティン・ブルメンバウムさん

=インド北部ダラムサラ(共同)



チベット亡命政府があるインド北部ダラムサラに居住するドイツ人の尼僧がチベット仏教哲学で「ゲシェ」と呼ばれる博士号を取得した。「チベットの歴史で女性初の快挙」と関係者は沸き立っている。

 この女性はドイツ西部ケルン出身のケルスティン・ブルメンバウムさん(39)。20歳のときにアジアを旅行。日本を経由して行き着いたダラムサラでチベット仏教と出合い、東洋の神秘に魅せられた。

 「一日中、いや一生チベット仏教を学んでいたい」と尼僧に。「最初はチベット文化を何一つ理解できなかった」。外国人のハンディを負いながらも、男ばかりの僧侶にまじり、文字通り朝から晩までチベット語と仏教哲学に没頭した。

 勉強を開始して16年が過ぎた今年、50枚に上るチベット語での論文試験に合格。4派あるチベット仏教の超党派の博士号を見事取得した。 (共同)




チベット問題(消される記事)

Category: チベット  
抗議行動を行って殺されたチベット人

1987~2003年


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ロプサン・レグデン (21)
メド・タクチュ出身、セラ寺の僧侶。
1987年10月1日、43人のセラ寺の僧侶とともに、デモに参加。バルコルの警察署に連行される。警察署のまわりに集まったチベット人たちは、僧侶たちの釈放を求め、独立要求のスローガンを叫び始めた。警察署の中では、僧侶たちがダライラマ法王への祈祷を始め、独立要求のスローガンを叫ぶ。警察は僧侶たちに発砲。ロプサン・レグデンは右頭部を撃たれて即死。家族は遺体を引き取るために600元(約9000円)を払わせられた。   




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カルセル (20)
メド・ロブサン出身、ネチュン寺の僧侶。
1987年10月1日、セラ寺の僧侶たちとデモに参加。バルコルで警官に撃たれて即死。




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ロプサン・ワンチュク (73)
アムド・ショチュン出身、サンドゥ・ダカール寺僧侶、仏教、歴史学者。
1959年の「ラサ蜂起」の後、アムド地方の重要な宗教指導者の一人と見なされ、逮捕。1960年1月21日、10年の刑を言い渡される。度重なる「タムジン(糾弾)」により体は衰弱しきった。10年の刑期を終えた後、さらに10年を「労働改造キャンプ」で過ごす。1981年12月3日密かに『チベット独立史』と題された本を書き、再び逮捕。3年半の懲役刑。この本は後に秘密裏に出版され、チベット人の間に広まった。獄中でも再び『チベットの独立を証する十六の要点』と題する冊子を作り、死刑を宣告される。だが、ダライ・ラマ法王をはじめとする多くの国際機関の介入により、18年の刑とされた。長期間手枷、足枷をはめられていたため、手足が麻痺し、また拷問のため視力も失う。1987年11月7日、ダプチ刑務所にて死亡。






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ゴンポ・ソナム (61)
シガツェ、ギャンツェ・ラプラン出身、チベット語及びチベット文化の研究者。
1959年の「ラサ蜂起」の際、中国軍と戦う。60年逮捕、2年の懲役。文化大革命中の66年再び逮捕され、16年を刑務所と労働改造キャンプで過ごす。83年9月30日、3度目の逮捕。ダプチ刑務所に入る。度重なる拷問のため、癲癇発作がひどくなる。85年、病状悪化のため釈放。87年12月23日死亡。








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ジャンパ・テンジン (49)
ジョカン寺僧侶。
1987年10月1日、セラ寺の僧侶たちがデモを行う。警察署に連行されたセラの僧侶たちを救おうと、市民はその警察署に火を放った。ジャンパ・テンジンは僧侶を逃がすために 燃え盛る焔の中に走り込み、大やけどを負う。その時の写真とエピソードは、その後チベット内外に広く伝えられた。同日逮捕。しかし翌年の1月22日、故パンチェン・ラマの介入により釈放。2月21日の深夜、数人の警官が彼の家に来て、激しい言い争いがあったと言う。3月の初め、御堂の中で、首に縄を捲いた姿で死亡。死因の真相は未だ不明。







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ゴンポ・ペルジョル (30)
カム出身。
1988年3月5日、デモに参加。警官に頭部を撃たれ即死。なおこの日のデモには6千人のチベット人が参加。警官隊の発砲により5人が死亡、300人以上が負傷した。






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ロプサン・ソナム(29)
ラサ・ジョブンカン出身、シンハ印刷所社員。
1988年3月5日、デモに参加。警官に背後から撃たれ、胃の右側を貫通。ラサ人民病院に運ばれたが、デモに参加したという理由で手当てを拒否される。4月5日死亡。







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ガワン・クンガ(27)
ペンポ・ルンドゥプ出身、デプン寺の僧侶。
1988年12月10日、独立要求デモに参加。警官に撃たれ、即死。







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タシ・プンツォク(37)
ラサ出身。
1989年3月5日、独立要求デモに参加。警官隊に撃たれ、死亡。






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ロプサン・ゲレック(48)
カム・カンゼ出身、ラサにて商店経営。
1989年3月5日、独立要求デモに参加。警官隊に撃たれる。3月24日、死亡。






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チュゼ・テンパ・チョペル(66)
ノルブリンカの庭師。
政治的理由により1987年12月15日に逮捕される。1989年12月、拷問により死亡。




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ケルサン・ツェリン(29)
ペンポ・ルンドップ出身、セラ寺の僧侶。
1989年12月10日、独立要求デモに参加。警官隊に撃たれて、負傷。一カ月後、ラサの人民病院にて死亡。







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ラクパ・ツェリン(19)
ラサ・キレー出身、学生。
反政府組織「雪獅子青年組織」のメンバーであるとして、1989年11月4日逮捕される。グツァ刑務所に拘留され、2年の懲役を受ける。ダプチ刑務所にて服役中、拷問のため体を崩すが、三度も診察を拒否される。1990年12月13日、ダプチ刑務所で死亡。






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ツァムラ(32)
ラサ・ギャルカラン出身。
1989年3月5日、独立要求デモに参加。逮捕され、酷い拷問を受ける。1989年10月10日、鉄の棒で中国人武装警官を殴ったという罪で有罪判決を受ける。拷問で受けた損傷のため入院したが、医学生による実験手術を受ける。1991年8月25日死亡。







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ダワ・ドンドップ(32)
ギャンツェ出身。
1989年3月5日、デモに参加、逮捕される。懲役2年。釈放された後も長く拷問の後遺症に伏せる。1992年11月2日、自宅にて死亡。








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プンツォ・ヤンキ(20)
タクツェ出身、ミチュンリ尼寺の尼僧。
1992年2月3日、デモに参加、逮捕。懲役5年。グツァ拘置所で6カ月間に及ぶ尋問を受けた後、ダプチ刑務所で服役。1994年2月11日、刑務所内で14人の尼僧らと共に、チベット愛国歌を歌う。さらに刑期が延ばされる。激しい拷問の末、下服部に激しい痛みを感じ、看守に病院での診察を懇願したが、無視される。痛みで全く眠れまま過ごし、9日後、意識不明に陥る。病院に収容されたものの、6日後に死亡。









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ロプサン・ユンテン(65)
ロカ・ゴンカル出身。
幼少の頃、デプン寺にて出家。1959年のラサ蜂起の際に逮捕。23年間を刑務所と労働改造キャンプで過ごす。1987年、ラサで6人の子供たちに文字を教え始める。いずれも、経済的事情等で学校に行けない子供たちであった。1993年には、60人の子供たちを抱える学校になり、ロプサン・ユンテンは「ツァスルおじさん」と呼ばれるようになった。1993年5月17日から23日までラサを訪れた、ヨーロッパからの視察団に連絡を取ろうとして、逮捕される。1994年10月30日、拷問による傷害のため死亡。








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シェーラブ・ガワン(18)
メド・ゴンカール出身、ミチュンリ尼寺の尼僧。
1992年2月3日、尼僧4人とセラ僧院の僧侶1人と共に、独立要求デモに参加、逮捕。懲役3年。ティサム刑務所に送られる。1994年8月10日の夜、尼僧たちと一緒にチベット愛国歌を歌う。激しい拷問を受けた挙句、手錠をされたまま独房に3日間入れられた。以後、記憶がちぐはぐになり、言動がおかしくなる。1995年2月2日、刑期を終え、釈放。入院したものの、同年4月17日死亡。拷問が原因で死亡した最年少の政治囚。







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タシ・ツェリン(59)
シガツェ・ヤンモガブリン出身、ドンツェ寺の僧侶。
1989年11月28日、独立要求のポスターを貼ったために、逮捕される。懲役7年。ダプチ刑務所で服役。1994年9月、病気のため、釈放。1995年5月17日、死亡。







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ダワ・ツェリン(28)
ラサ出身。
1989年3月5日、ラサでのデモに参加。8日、逮捕。サンイップ刑務所に、1990年5月まで拘留される。拷問による後遺症のため、背中が曲がり、まっすぐ立つことができなくなる。病院に入院。5年後の1995年8月19日、退院することなく死亡。








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ツェニ(23)
ラサ出身、「西蔵日報」新聞社勤務。
1990年2月にインドに亡命するも、父の葬式のためラサに帰国する。1994年、税金値上げ反対のデモに参加。デモは数時間後に独立要求デモとなる。逮捕され、グツァ刑務所に拘留。妊娠していたにもかかわらず、拷問される。一時的に釈放されたが、常に監視され、脅され続ける。精神的に耐えられず、自殺。1才にも満たない子どもが残された。







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プルブ・ツェリン(36)
ラサ・ダナクショ出身、セラ僧院近郊の経文印刷所工員。
1989年3月、独立要求デモに参加。公安派出所で、武装警官隊に鉄パイプでめった打ちされる。頭蓋骨損傷を受け、意識不明になる。手術を受け、4カ月間入院。その後自宅に戻ったが、半身不随になり、度々全身痙攣を起す。回復することなく、1996年2月7日、死亡。







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サンゲ・テンペル(19)
ウマ出身、ダムシュン・カンマル寺の僧侶。
1995年4月、政治的理由で逮捕。グツァ刑務所に4カ月拘留された後、ダプチ刑務所にて服役。1996年5月、刑務所で死亡







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ケルサン・トゥトップ(49)
トゥルン・サンダ出身、デブン寺の僧侶。
デブン寺で結成された「フリーダム運動」のメンバー。「世界人権宣言」のチベット語翻訳、「チベット民主憲章」と題される秘密文書の作成、印刷を行う。1989年5月、メンバー4人が捕まった後、ケルサンは、警察から逃れるためにインドへ亡命を試みる。だが、国境の町ダムで、ケルサンと仲間が乗っていたトラックが事故で横転。怪我をした仲間を病院に運ぶ。病院で2人とも逮捕される。懲役18年。ダプチ刑務所で服役中の1996年7月4日、尋問室に連れて行かれる。2時間後、帰された時には、うめくばかりで、一言も口がきけない状態だった。その夜、病院に収容されたが、翌朝4時に死亡。鳥葬に立ち合った者たちは、睾丸が一つ無残に潰されていたことを確認した。








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イシェ・サムテン(22)
タクツェ・デチェン出身、ガンデン僧院僧侶。
1996年5月6日、ダライラマ法王の写真の撤去を命じた工作隊に、僧侶たちは強く抵抗し、90人の僧侶が逮捕される。イシェ・サムテンは懲役2年を受ける。トゥルン・ティサム刑務所に入れられる。2年の刑期を終了し、1998年5月6日、釈放。だが、度重なる拷問と刑務所での劣悪な待遇により、重体となり入院。釈放後6日目、1998年5月12日に死亡。







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ロプサン・チョペル (22)
カンマル寺の僧侶。
1998年5月1日、4日に起きたダプチ刑務所での独立要求デモに参加。1週間後に自殺したと伝えられる。







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デキ・ヤンゾム
尼僧。ニェモ出身。
1998年5月1日、4日に起きたダプチ刑務所での独立要求デモに参加。拷問により死亡。家族は、自殺により死亡したと告げられる。









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ガワン・チュキ(26)
ペンポ・ルンドップ出身、シャルブンバ尼寺の尼僧。
1994年6月、4人の尼僧とともに独立要求デモに参加。懲役5年。1998年5月1日、4日に起きたダプチ刑務所での独立要求デモに参加。拷問により死亡。家族は、自殺により死亡したと告げられ、遺体を引き取ることはできなかった。







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ロプサン・ワンモ
尼僧。
1998年5月1日、4日に起きたダプチ刑務所での独立要求デモに参加。拷問により死亡。家族は、自殺により死亡したと告げられる。







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タシ・ラモ
尼僧。
1992年、独立要求デモに参加、逮捕される。懲役6年。1998年5月1日、4日に起きたダプチ刑務所での独立要求デモに参加。拷問のため、危篤に陥る。1998年6月7日、病院にて死亡。刑期が終わろうとしていた矢先のことであった。







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ガワン・テンキョン (28)
ガンデン寺の僧侶。
1998年5月1日、4日に起きたダプチ刑務所での独立要求デモに参加。5月5日、拷問により死亡。







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ケドップ(26)
ガンデン寺の僧侶。
1998年5月1日、4日に起きたダプチ刑務所での独立要求デモに参加。拷問により死亡。家族は、自殺により死亡したという文書に無理やり署名させられた。遺体は引き渡してもらえなかった。







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タシ・ツェリン(39)
ロカ出身、ラサ在住。大工。
ラサで第6回少数民族競技会が開催されていた1999年8月26日、ポタラ宮殿の中国国旗を降ろし、チベット旗をあげようとして逮捕。胴体にダイナマイトを巻いていた。逮捕されそうになったときに着火しようとしたが、雨が降っていたために失敗。逮捕されたとき、彼は「フリーチベット!」と叫んでいた。秘密警察に、その場で激しい暴行を受け、腕を脱臼し、重傷。セラ僧院近くの警察病院に収容される。1カ月入院していたが、1999年10月、病院で死亡。妻らも容疑をかけられて逮捕。家宅捜査を受け、チベット旗が見つかった。
彼は地元の学校の建設のために寄付をし、中国当局から最も栄誉ある青年10人に選ばれたことがある。








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ロブサン・ツォンデュ(88)
1911年生まれ。ナクチュ出身。
7歳の時、シャロン僧院の僧となる。その後、デプン大僧院ゴマン学堂に入り、仏教哲学を学ぶ。1960年にインドに亡命しようとするが失敗。逮捕され15日間留置。以後彼はチベットのために活動し、4度逮捕され、独立運動に参加した罪で22年間刑務所で過ごす。1999年、88才で死去。
1965年、彼は、ダライ・ラマとパンチェン・ラマ批判を強要されたが、ダライ・ラマと2人の指導僧の写真を自宅の屋根の上に掲げ、一晩中祈りを捧げた。この行為により、彼は「リトル・パンチェン」と呼ばれるようになったが、逮捕されて5年の刑を宣告された。ティーチュー刑務所で囚人たちは虫を殺すよう命令されたが、彼は拒否した。またダライ・ラマや彼の指導僧を批判せよと命令されたが、これも拒否。10年刑期が延長され、15年間服役。
1980年、刑期を終え、デプン寺に戻った。1987年9月初め、若いチベット人たちが、ラサで大規模な独立運動を行ったが、彼はそれを全面的に支援。1988年、9カ月間留置され、1989年に6年の刑を宣告されてダプチ刑務所で服役。
尋問を受けた際、彼は、チベットはダライ・ラマ法王を中心とした主権国家である、と断言。
1990年12月15日、若い政治囚ラクパ・ツェリンが刑務所内で死亡。ロブサン・ツォンデュは囚人たちの待遇を改善するよう要求。このため、彼は独房に監禁され、むごい拷問を受けた。
1996年、彼は、刑期を終え、僧院に戻った。そのときすでに85才。健康状態が悪化しており、1999年1月、デプン寺で死亡。88才だった。僧院委員会は彼のために盛大な葬儀を行った。多くの地元のチベット人たちが訪れ、彼の魂に祈りを捧げた。







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プンツォ (60)
ラサ出身、元タールン寺の僧侶。
チベット亡命政府に、チベットでの人権侵害を記した手紙を送ったことで、1995年に逮捕。2年の懲役を受けるが、拷問で障害者となり釈放される。回復することなく、1999年9月2日、死亡。





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ソナム・ワンドゥ(44)
ラサ出身。大工。
1988年3月5日のラサで起きた大規模なデモに参加し逮捕される。度重なる拷問により、下半身不随となり、1993年に釈放され、自宅軟禁。逮捕後、二人の幼い息子はインドへと亡命。ソナムの尿便の処理(管で排泄)は、叔母が面倒をみていた。全財産を没収されたため、彼は車椅子に乗ったまま、古くなった机やテーブルの色を塗り替える仕事をして、なんとか生計を立てていた。だが、病状は悪化する一方で、常に激しい頭痛に悩まされ、次第に話すことも、聞くことも難しくなっていった。1999年3月、死亡。







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ソナム・リンチェン(27)
メドクンガ出身。
1987年のデプン寺僧侶たちによる初めてのデモに感化され、メドクンガの村に独立要求のポスターを貼り、ビラをまく。1990年、メドクンガでの政治集会にて、村近郊で行われている採掘事業の取りやめを要求。1992年6月12日、政治集会で4人の仲間とともに「チベット独立」「ダライラマ法王万歳」などのスローガンを叫び、逮捕される。懲役15年。ラサのダプチ刑務所で服役中の2000年1月、拷問により死亡。






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ショルパ・ダワ(60)
1940年生まれ。ラサの仕立屋。
独立運動のチラシを配った罪で1981年9月27日に初めて逮捕。懲役2年の判決が下され、半年はガツァ、残りの1年半はサンギャ刑務所に収監。1985年に再度逮捕。このときは、チベットの悲惨な生活環境や中国による侵略を非難するチラシを配布。懲役4年の判決を受け、サンギャ刑務所に入所。1995年にも逮捕。1996年に懲役9年の判決を受け、ダプチ刑務所に収監。2000年11月死亡。刑務所で受けた酷い虐待が原因。詳細






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ナミャル・タシ(52)
1980年代、彼とその家族は、建設関係の仕事に従事。2001年9月20日、ラサの自宅で死亡。
1959年の蜂起のときに初めて逮捕。ノルブリンカ、ガチェン等で強制労働。そのとき、暴行、拷問を受ける。
1991年、サミエ僧院でチベット旗が掲げられた事件の後、彼はダプチ刑務所に7年収監。逮捕の直後、妻のジャンパ・チョエゾム(52)は心臓麻痺で死亡。長男は12才のときに、チャクポリ労働改造キャンプの建設現場で働いている父に食べ物をもっていこうとして殺された。娘のガワン・サンドルは、23年間も収監された女性最長の政治囚である。







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ペンパ(40)
僧侶。TCHRD(チベット人権民主センター)は、2001年にペンパの死を報告している。刑務所で激しい暴行を受けたが、健康上の理由で仮釈放。その1カ月後に死亡。チベット旗を掲げた罪で3年の刑を宣告されていた(TCHRD2001年2月22日)。








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ユーロ・ツルク・ダワ・ツェリン(72)
1930年、ラサ市タクツェ県生まれ。彼はチョネイ・ユーロ・リンポチェの生まれ変わりとされ、子供のときにガデン・シャルツェ僧院へ。1950年にゲシェー(仏教博士)を授与。その後、ギュト密教大学で密教を学ぶ。
1959年、ツルク・ダワ・ツェリンは、ラサ蜂起に参加して逮捕、終身刑を宣告される。1979年、“自由化政策”の影響で釈放。彼は20年をダプチ刑務所で過ごす。
彼は、他の政治囚とともに、建設現場で働いた。釈放後、彼は、1982年までラサ大学で仏教哲学を教える。その年、彼は、政治協議委員会とラサ仏教徒協会のメンバーに任命された。
1987年12月26日、彼は、2人の訪問者にビデオ撮影を許可したことで、セラ僧院の僧侶で友人のトプテン・ツェリンとともに逮捕された。訪問者(亡命チベット人とイタリア人旅行者ステファノ・ダラリ博士)は、ツルク・ダワ・ツェリンの、チベットの人権蹂躙と貧困の蔓延についての証言をビデオで撮影していた。
1988年3月、ラサのラジオ局は、「1987年7月26日の午後、2人の僧侶、ユーロ・ダワ・ツェリンとトプテン・ツェリンは、外国の反動分子に反動的な見解を広めました。彼らはまた、中国共産党と人民政府の政策を批判しました」と放送した。彼らは“反革命主義的プロパガンダ”を流布した罪で中国刑法第102条2項に基づいて起訴された。逮捕後の1987年12月26日、彼らは最初、ストゥ留置所に1年間留置された。そのうち7カ月は、独房に監禁、毎晩尋問を受けた。
1989年1月19日、ラサ市中級人民法院は、ユーロ・ダワ・ツェリンに懲役10年、トプテン・ツェリンに懲役6年の判決を下し、2人ともダプチ刑務所に収監された。
彼は釈放後も、たえず監視されていた。また、長期間刑務所でひどい扱いを受けていたために、精神的にも肉体的にも病んでいた。2002年1月16日午後2時55分、ラサの自宅で死亡。詳細










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ロブサン・ダリャル(38)
1967年、ゴロク・チベット族自治州マチェン県、チューワ出身。
22才まで自宅で家畜の世話をする。22才のとき、彼はラギャ僧院に入ることが認められる。1987~1989年まで僧院にいたが、ラサで行われた大規模な抗議集会が起きている話を聞いた。彼と友人3人は、チベット独立運動への参加を呼びかけるポスターをたくさん作り、ゴロクでポスターを貼った。
1992年11月15日、シンサン・リンポチェは、地元の僧院の座主となる。そのため、14日の夜に、ロブサンと友人は、たくさんのチベット旗や、チベット独立のポスターを作成した。彼らはそれを壁に貼り、市民に配った。非常に多くの人が即位式に集まった。
15日の夜、警察が僧院にやってきて、僧たちを尋問。強要と買収で僧侶の一人が、ポスター貼り運動の首謀者はロブサンであることを打ち明けた。
11月25日、ロブサンは逮捕された。僧院内の彼の部屋が捜索を受け、チベット独立のポスターと、ポスターを刷るための木製の型が見つかった。ゴロクの中等法院は、2年6カ月の懲役を言い渡した。ロブサンの愛国的行動の知らせは、チベット青年会議に届いた。1995年8月の第9回総会で、ロブサン・ダリャルと彼の友人であるロブサン・パルデン、イェシェ・ギャルテンは、その勇気に対して賞が贈られた。
ロブサンは1995年5月25日に刑期を終えた。だが、僧院への復帰は許されなかった。彼は、国や同胞のために政治活動を行い続けた。
1997年4月に、彼はシンサ・リンポチェの亡命に協力。2001年に、ロブサンは、彼の年老いた母に会うためにゴロクに帰った。だが、シガツェに着く前に逮捕された。16年の刑を宣告されてシリンの刑務所に収監。電力施設での強制労働。
ロブサンは、刑務所で何度も暴行を受け、脳に損傷を受けた。2002年11月19日、脳の損傷が原因で死亡。







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ニマ・ダクパ
東チベットのカンゼ・チベット族自治州タウ県出身。ニャツォ僧院の僧侶。
1989年にニャツォ僧院に入り、1年間仏教哲学を学ぶ。1990年、インドに亡命し、南インドのガンデン寺に入る。そこで3年間仏教哲学を学ぶ。1994年にチベットに戻り、さらに学ぶために以前の僧院に入った。
1998年、彼はニマは僧院で学んでいたが、政治運動のポスターを作成してそれを壁に貼るようになった。彼は自分の名前までポスターに書いていた。同名の別人が逮捕されたが、すぐ釈放。
2000年、彼は逮捕を逃れるためにラサに向かった。しばらくラサ郊外に潜伏していたが、ラサで逮捕された。2000年10月にタウ県に連れ戻され、7年の刑が宣告された。
受刑中、彼は非道い暴行や虐待を受け、両手両足を失った。体調がひどい状態が続いたため、釈放されたが、2003年10月1日、自宅で死亡した。




ダライ・ラマ引退に伴う憲章改正協議 亡命チベット人総会開幕

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ダライ・ラマ引退に伴う憲章改正協議 亡命チベット人総会開幕

2011.5.21

チベット亡命政府があるインド北部ダラムサラで21日、世界中から集まった各界の亡命チベット人らによる総会が開幕した。チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世の政治的ポストからの引退に伴い、亡命チベット人の憲法に相当する憲章の改正について24日まで協議する。

 チベット亡命政府は、ダライ・ラマの役割に関わる憲章改正という重要性を考慮し、幅広い各界代表の総意を得た上で、亡命政府首相への政治的実権の委譲を進めたい意向だ。

 総会には、亡命政府の新首相に決まったロブサン・センゲ氏や閣僚、議員、学識者ら約500人が参加。

 草案では、政治的実権は首相に移るものの、亡命政府の内閣への助言や外国首脳との会談、特使の任命など一部権限をダライ・ラマに残す。(共同)



自由獲得へ全チベット人に協力要請 首相当選のセンゲ氏

2011.4.28

チベット亡命政府首相選で当選した米在住の学者ロブサン・センゲ氏(43)は27日、「リーダーとしての責任を引き受ける」と述べた上で、チベットの自由獲得のために全てのチベット人に協力を求めた。PTI通信が報じた。

 センゲ氏は、中国四川省アバ県のチベット仏教寺院で当局と僧侶が対立している問題などに触れ、「中国政府にチベット人が殺害されたり、逮捕されるなど、われわれは大きな難題に直面している」と指摘。

 さらに「(中国に)占領されているチベットに住むチベット人たちの苦しみを和らげ、ダライ・ラマ14世を本来の居場所である(ラサ中心部にある歴代ダライ・ラマの宮殿)ポタラ宮へ帰すという共通の目的のため、私とともに歩んでくれるよう、全てのチベット人とその友人たちに求めたい」と話した。(共同)



ダライ・ラマ「亡命政府の政治的ポスト引退」の考え表明

2011.3.10

【ニューデリー=田北真樹子】チベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ14世(75)は10日、インドにあるチベット亡命政府の政治的ポストから引退する考えを表明した。チベット動乱から52年目に際し発表した声明で明らかにしたもので、14日から始まる亡命政府議会で正式に提案するという。


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声明でダライ・ラマは「私はかねてから、チベット人には人々から選ばれ私が権限を委譲できる指導者が必要だと強調してきた。その時期がやってきた」と述べ、14日の議会の冒頭、ダライ・ラマを行政府の長と定めている亡命チベット人憲章の修正を提案する考えを明らかにした。

 ダライ・ラマは亡命政府の民主化を訴え、政治的実権は選挙で選ばれた首相に委ねられるべきだと主張してきた。ただ、これまで議会や亡命チベット人から慰留されてきた。チベット人社会や政府が宗教指導者としてでなく、政治指導者としてもダライ・ラマに大きく依存する状況に変わりはなく、今回も議会が憲章修正に動くかどうかは微妙だ。

 ダライ・ラマがこのタイミングで政治的ポストからの引退を表明したのは、来月23日の新首相選出に合わせたとみられる。また、7月に76歳になるダライ・ラマは精力的にインド内外に足を伸ばしているが、高齢化は否めない。政治と宗教の両面で強い権限を持つダライ・ラマは、政治権限を分離することで自身の死去後への影響緩和を図ったかたちだ。

 一方、この日の声明でダライ・ラマは、最大の懸案である中国との対話について「私たちの合理的な提案に対する肯定的な回答の欠如は、上の指導層に提案がすべて正しく伝わっているのかという疑問を抱かせる」などと述べた。


中国、チベット亡命政府の新首相との対話を明確に拒否

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中国、チベット亡命政府の新首相との対話を明確に拒否

2011.5.30

【北京=矢板明夫】チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世(75)から政治的権限を移譲されるチベット亡命政府の新首相、ロブサン・センゲ氏(43)が中国当局との対話再開を求めていることに対し、中国政府系ウェブサイトは30日までに、「ダライ・ラマとその周辺者はチベット人民を代表する資格はない」とする論説記事を掲載し、対話を拒否する姿勢を示した。

 ダライ・ラマ14世の政治的ポストからの引退に伴い、4月に新首相に選出されたセンゲ氏は、中国からの独立でなく、「チベットの高度の自治」を求める従来の路線を堅持する方針を表明。昨年2月以降中断している中国政府との対話再開への意欲を示している。

 中国国内のメディアはこれまで、一連のチベット亡命政府の動きをほとんど伝えず、静観してきたが、28日に政府系サイト、西蔵ネットに「誰がチベット族を代表しうるか」と題する記事を掲載した。

 センゲ氏ら亡命政府の関係者を「ダライ・ラマの周辺者」と決め付け、「彼らはチベット地域の実情を熟知していない」「チベット住民による民主的な選挙で選ばれていない」などの理由をあげて、「彼らはチベット人民を代表する基本的な資格すらない」と断じ、チベットの高度自治問題について亡命政府と交渉する意思はないことを示した。


中国当局はこれまでに、2008年の北京五輪開催前などの時期に、国内外の圧力をかわすためにダライ・ラマ14世の代表との対話に応じたことがあったが、国際社会での知名度も低く、チベット住民に対する影響力もほとんど持たないとされるセンゲ氏の対話要求に応じる可能性は極めて低いとみられてきた。

 共産党で少数民族政策を担当する関係者の一人は「チベット仏教のもう一人の主要指導者であるパンチェン・ラマ11世は中国側に付いており、高齢のダライ・ラマ14世が死去すれば、チベット問題はほぼ解決する。私たちは亡命政府の新首相を相手にする必要はない」と述べた。





今もチベットでは…

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以下は、ダライ・ラマ法王日本代表部事務所発行の「チベット半世紀の苦難-3月10日『チベット蜂起記念日』特集」に掲載された、チベット人青年の手記(2008年5月18日付)の抜粋である。


(3月、)100人ほどの兵士が私の家に乱入してきた。5つのドアを壊し、あらゆる物を物色した。投げ捨てられた物が床に散乱した。彼らはそこに居合わせた人間を誰彼構わず殴った。彼らは小銃を構えていて、とても乱暴だった。私は逮捕され、両手の親指を後ろ手に固く縛られて連行された。余りひどくきつく縛られたせいで、未だに周囲が麻痺している。

頭を何度も殴られ、殺されるのかと思った。骨が折れても不思議ではないくらい殴られた。しかし彼らは私を殺さずに、収容所に連行した。
1日に与えられた食べ物は蒸した饅頭半分のみ。投獄されていた誰もが水を欲しがり、多くの者が自分の小水で渇きをしのいだ。
衣類も毛布も寝具も何もなかった。コンクリートの床があるだけだった。とても寒かった。

本当にひどかった。ひどい話をたくさん聞いた。腕や足の骨を折られたり、発砲され負傷したものが大勢いた。まったく恐ろしい光景だ。21世紀に生きているとはとても思えない。銃で4回も撃たれた少年がいた。肋骨を折られた人もいた。一人の男性は右目を殴られて内出血して顔が腫れ上がっていた。とにかくひどいんだ。歯を折られたり、ほかにもいろいろだ。本当に恐ろしい目にあったんだ。

食べ物がなかったのはつらかった。ひどい空腹のために人がばたばた倒れた。

私は直接見たわけではないが、トゥルンでは数人の僧侶の頭に布袋が被されていた、と友人らが言っていた。僧侶たちはどこかに連行されたまま戻ってはこなかった。殺されてしまったのかもしれない。

私が会った65才の男性は肋骨を2本折られていて上半身が曲がった状態でうずくまっていた。まっすぐに出来ないんだ。瀕死の状態だった。

ある姉弟は、突然寝ているところを兵士たちに襲われた。兵士はまるで物みたいに彼らを窓から建物の外に放り投げたんだ。弟の方は即死だった。姉は死ななかった。横たわる彼女に兵士らは座ることを強要した。弟の遺体はどこかに移され、姉はこの出来事を口外するなと命令された。これらはほんの一例で、こんな話がいっぱいあるんだ。

何もしていない人たちも尋問を受けた。何もしていなくてもチベット人であるというだけで有罪になった。未だに居所のわからない者が大勢いる。

真新しいジャケットを身につけた男性がいたが、彼はジャケットを剥ぎ取られて殴り殺された。このジャケットは盗んだに違いない、と言われて。そうなんだ、新品のジャケットを着ていたために、彼は殺されたんだ。

高校生も大勢いた。17才の学生は3月14日の抗議行動には参加していなかったが、拷問を受けた。彼は服を脱がされ手を縛られて、荷車で轢かれた。ありとあらゆる拷問がある。後で彼が言っていたが、やってもいないことを強制的に自白させられたらしい。多くの人がそうやって、嘘の自白を強要されるんだ。収容所で死んだ人を目にすることはなかったが、「死人が出た」と公安や兵士が叫ぶ声を毎日聞いた。
ある日「何人ぐらいチベット人が逮捕されたか」という問いに対して、ある中国人が、1万人弱だろう、と答えるのを聞いた。

兵士らの僧侶の扱いは格段にひどい。デルゲ県の僧侶は指が湾曲していたうえ、片目が完全に失明していた。我々なんかよりももっとひどい拷問を受けたんだ。本当にどうして僧侶たちに、あんなにひどい仕打ちをするのかわからない。ひどすぎる。

もうこれ以上我慢は出来ない。人は寛容であるべきだが、これ以上寛容にはなれない。
我々に人権はない。ここにあるのは文化的ジェノサイドだ。

監禁されている時に何度か食べ物の夢を見て、家の食事のことを思い出した。母と姉の作る食事。匂いまで思い出した。その時、家の食事のおいしさを、本当にありがたいと思った。食事を終えて、「まあまあだったね」なんてよく言ってたけれど、本当はとてもおいしかったんだ。

こんなに残酷で悲惨な経験をしたことはなかったけれど、それでもそこから学ぶことはある。よりよい人間になることができる。

チベット人がどんどん減っていくのがとても心配だ。多くの人たちが命を落とし、そうでなければ手足を折られて不自由な体にさせられている。ひどいことだ。私がそうだったように、(今も)逮捕されて監禁されている人たちもいる。収容所に監禁されている人たちのことは、決して頭から離れない。

あのひどい状況……わずか16,17才の若者が終始泣き叫んでいるんだ。悲惨だ。
手を折られた人たち、銃弾で傷ついた人々……彼らの青白い顔……
悲しみで胸が張り裂けそうだ。


2008年5月19日



この手記が書かれた少し前に、胡錦涛が来日し、早稲田大学で卓球少女愛ちゃんと胡錦涛が楽しく卓球に興じ、それを我が国の首相が満面の笑みで暖かく見守っていた。その構図を、マスコミが大きく報じ、日中友好ムードが演出されていた時も、チベットでは、この手記に書かれているような、残酷な状況があちこちで起きていた。


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北京五輪開幕直前の、テレビ局のアナウンサーやコメンテーターの、期待に声を弾ませるような調子の放送を見るたびに、今もチベットでは…と思ってしまう。

きのうの開会式はとても見る気にはなれなかったが、1時頃テレビをつけたら、まだ開会式をやっていた。このバカ騒ぎの裏側で、非人間的な行為が今も行われている。情報がなくとも、少しの想像力があれば、それは理解できるだろう。理解できれば、テレビで垂れ流されるあの浮ついた態度は、人間として恥ずかしくてできないはずだ。







チベットの女性と子供の人権

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チベットの女性と子供の人権

女性の人権(強制不妊手術と人工流産)


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1984年、中国政府は、チベット人に対して子供を2人以下とする産児制限を課した。農村や遊牧地帯のチベット人は、この制限を免除されることになっていたが、実際は、第3子を産むと1,500元~3,000元(400~800ドル)の罰金が課せられた。しかも第3子以降には配給票が与えられず、規則違反者には最高で賃金の50%がカットされた。3ヶ月~6ヶ月の賃金支払い停止処分も行われた。

 1987年、チベット自治区の104,024人の出産適齢女性のうち、76,220人が既婚者である。このうち、22,634人がすでに不妊手術を受けていた。これは既婚の出産適齢女性の30%に当たる。1986年、ニンティ地区、ロカ地区、シガツェ地区で、女性の19%が不妊手術を受けている。

 カムとアムドでは、さらに抑圧的な政策が取られている。
 たとえば、甘粛省パリ・チベット族自治県では、1983年、2,415人の女性が不妊手術を受けたが、その82%がチベット人だ(パリにおけるチベット人の比率は29.9%にすぎない)。また1987年には、四川省カンゼ・チベット族自治州のザチュ県で、764人の出産適齢女性が不妊手術を受けたが、そのうちの660人がチベット人だった。産児制限チームが農村・遊牧地域を歩き回っては、女性たちを集めて中絶や不妊手術を施している。すでに腹部の大きくなっている女性にさえ中絶が強制され、不妊手術が行われた。

 1996年末、ラサ市のある地域で、22日間で、既に3人出産した308人のチベット人女性に不妊手術が行われた。チベット自治区のジャムドゥン町では、16歳以上の全てのチベット人女性に、長期間、避妊用具が導入された。そのうち3人が強制手術の結果、死産した。

 チベット人女性に対する強制手術や人工流産は、チベット内に大量の中国人が移住していることと関連して、チベット民族の存続に深刻な危機を及ぼしている。多くのチベット人女性の子宮内に機器が埋め込まれているが、何の装置なのかということはもちろん、埋め込まれていることすら教えられていない。この装置の金属が腐蝕したり、肉が装置に癒着した例が報告されている。

 中国政府は、出生計画を実行する際、「本人の意志を尊重する」原則は堅持しており、強制中絶の類はすべて禁止している、と主張している。


■子供の人権




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チベット人の子供の約1/3は、全く教育を受けていない。チベットの都会の新しい学校は、中国人移民の子供用である。入学試験は中国語であり、法外な学費が要求されるため、通常チベット人は入学できない。寺院での教育にも中国の目が光っており、僧侶と尼僧学生の数は厳しく制限され、さらに寺の学校へ子供を入学させるときに高い賄賂を要求される。

 学校教育ではチベット語が排除されている。1997年4月、チベット自治区は、小学校教育での主要語はチベット語に代わって中国語とする、と発表した。

 亡命したチベットの子供たちの証言によれば、彼らは、チベットの衣装を着ること、チベットの食べ物を食べること、チベットの祭日を祝うこと、さらにダライ・ラマの写真を持つことなどが禁じられていたという。中国経営の学校では、小学生(6歳~12歳)にさえ残酷な処罰が行われている。工業地域の清掃作業、教師の衣類の洗濯、排水の掃除、ゴム製こん棒、鞭、ベルト、電線、椅子、竹の棒等による連打が行われている。


■女性と子供の囚人

 強制収容所等から生還した人たちの証言をまとめると、チベット全体で収容者のおよそ7割が死亡している。北チベットのジャン・ツァラカでは、10,000人以上の囚人が収容され、ホウ砂の採掘と運搬に従事させられていた。生還者によると、毎日10~30人が飢えや殴打、過労で死亡し、1年間で8,000人以上が死亡した。ラサのアチェン水力発電所の建築現場でも、毎日3、4人の収容者が死亡し、死体が近くの川に投げ捨てられたり、焼かれたりした。東チベットのダルツェド地区の鉛鉱では、1960年~1962年の間に、12,019人の収容者が死亡した。




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政治犯


1997年末の時点で、監禁されているチベット人の政治犯や良心の囚人の数は、1,216名とされている。囚人となったのは、意見と表現の自由、宗教の自由、集会の自由を平和的に行使した、というだけの理由である。このうち39名は18歳以下の少年少女の政治犯で、295名が女性である。1997年末の時点で8歳になるパンチェン・ラマとその両親も含まれる。少年少女であっても、成人の囚人たちと一緒に厳しい強制労働に耐えねばならず、拷問、虐待も同じように受ける。
 尼僧を標的にして恣意的な逮捕も続けられている。彼女たちは拷問や酷使の対象となっている。

拷問
 拷問は通常、尋問とともに行われる。被害者の回想によれば、拷問は次のような方法で行われている。


鉄の棒や銃床で打つ
むち打ち
四肢、特に足首の関節をハンマーなどで叩く
曲がった釘のついたバットで叩き、肉を引き裂く
皮膚を針でつきさす
爪の下に竹串を挿入する
電気棒でショックを与える
食事や薬を与えない
氷点下の独房で裸にして冷水を浴びせる
炎天下、防寒着を着せて長時間立たせる
熱い煙突にくくりつける
トゲのある手錠をかけ、天井から吊るして火あぶり
血液を強制的に抜き取る
猛犬に攻撃させ、肉を引きちぎらせる
大量の水を飲ませ、失禁させ、辱める
ゴム管で囚人の口に放尿する
仏画で排泄物を運ばせる
拷問のビデオを見せる
(最も一般的に見せられているのは、僧が手と足を釘で打たれて磔にされ、2度銃で打たれ、吊るされて、生きながら火で焼かれる映像)




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中国で囚人に対して使用されている各種拷問道具



1980年代前半に、中国は電気警棒を使った拷問を導入した。囚人たちの体や顔を殴るのに使われたり、女性囚への性的暴行に使われた。膣や肛門に「電気棒」を挿入されたとの報告が多数ある。受け入れられない返答をすると、罰として囚人の口に電気棒が入れられ、深刻な舌肥大を引き起こした。歯を失った囚人もいる。手首や親指など身体の一部に電線をまかれて直に感電させられたり、水をかけてショックを増大させることもある。電気ショックの後遺症は非常に深刻で、体内の傷害や精神傷害につながることが多い。

性的暴行はもっとも野蛮な拷問のうちのひとつである。これは主に、独立運動を支持した尼僧の信仰と精神を崩壊させるために行われる。棒や電気警棒が膣や肛門に挿入され、多大な苦痛を与えるとともに、腎臓の傷害や精神的トラウマといった不治の傷害を残す。
 看守によるレイプの報告は多くないが、尼僧たちはレイプをひどく恥じるため、報告件数よりもずっと多い可能性がある。

 強制的な血液の抽出は、精神的にも肉体的にもダメージを与える拷問である。特に恒常的な栄養不良や暴行に加え、チベットのような高地で血を抜かれることは死を招くことになる。
 60年代の大飢饉の時、中国当局は血液と食料を交換していたが、自発的に売血するチベット人はいなかったので、62年の中印国境紛争の際、血液を強制的に寄付させる運動に発展した。 通常の1.5倍もの血液が、15歳~35歳のチベット人から抽出された。この運動で飢餓に苦しむ多くのチベット人が死んだ。
 血液抽出は「健康チェック」という名のもとに行われることもあるが、「診断結果」を知らされることはない。

 拷問には、体内に傷害を与え、拷問の痕跡をわかりにくくする、という巧妙な手口がある。腎臓付近に集中的に暴行を加えるのだ。そのため、腎臓の傷害が死因となるケースが多い。拷問で障害を受けた後も、囚人たちは十分な治療を受けられず、受けられた場合も遅すぎることが多い。生き延びた者も、多くの場合拷問の傷が消えることはない。

 拷問は、特に若者にとっては、はかりしれない精神的影響がある。たとえ1ヶ月の間でも、始終拷問を体験した子供たちは、理性を働かせる能力を失うことが多い。


■中国が行っているチベット人女性に対する拷問の実例

・監獄内でお経を唱えているのが見つかった尼僧は、電気棒を口に入れられ、さらに五体投地(礼拝)を行ったことで、水と氷の中で五体投地をするように強制された。

・妊娠3ヶ月の女性は、逮捕された夜、14時間寒い部屋で立たされっぱなしだった。彼女は、尋問者に妊娠中であると訴えたが、無視されて尋問が続けられた。翌日、彼女は監獄の便所で流産した。

・尼僧リンジンは1989年3月8日のデモに参加し逮捕されたが、1週間も経たないうちに釈放された。ところが、彼女が尼僧院に戻ってきた時は危篤状態だった。腎臓は拷問で損傷を受けていた。1990年、25歳の若さで死亡した。

・尼僧クンチョク・ツォモは1993年5月のデモで逮捕され、銃の床尾で暴行を受け腕を骨折したが、治療もされずに3年間刑務所で過ごした。刑務所では、羊毛を分別し洗うノルマを課せられ、そのせいで腕の状態はさらに悪化した。 釈放後の診察では、骨折部分に肉がくいこんだ状態で固着してしまっていた。

・独立デモに参加して、1991年に刑務所に収監された尼僧ジンパ・ラモの証言。
「私は刑務所近くの病院に連れて行かれ、2瓶分の血液を抽出された。公安当局は私に立つよう命令したが、とても気分が悪く立てなかった。そのため公安当局は私を棒で殴打し始めた。彼らはまたゴムの管を私の口に押し込め、それに放尿した。彼らは私を何度も殴り、私はついに怒ってこう叫んだ。『殺したいんなら、早く殺せ!』。彼らは私を殺さず、その代わりに汚物まじりの塵のたくさんある独房に私を連れ戻したのだった」


・ラサの尼僧ピュンツォク・ヤルギは92年2月に逮捕された。1994年、彼女は中国人の医者に2度にわたって背中に注射を打たれ、体液を抽出された。 ピュンツォクは昏睡状態になり、爪、舌、唇は青みを帯びた黒色に変色した。 6日後、20歳の若さで亡くなった。 報告によれば、酷い暴行のため、遺体は全身にわたって黒色、青色に変色していた。 右足は真っ黒に、そして眼と口は血で染まっていた。

・政治囚、尼僧シェーラブ・ガワンは15歳で亡くなった。釈放された2ヶ月後である。獄中で自由を求める歌を他の尼僧たちと歌ったため、電気棒、砂を詰めたプラスティックの管で殴られたという。「看守たちにひどく暴行され、誰だかわからないくらい体中が打撲傷だらけになっていた」。独房に3日間監禁された後、シェーラップは背中に鋭い痛みを感じるようになった。記憶喪失にもなり、普通に食べることさえ困難になっていた。 囚人仲間が懇願し、ようやく病院に運ばれた。
「釈放された時、拷問といい加減な治療で重体になっていた彼女は、ラサの他の病院に運ばれた」。診断した医者たちによると、彼女は腎臓の機能不全及び肺に損傷を受けていた。


刑務所での拷問と尼僧(シェーラブ・ガワン)の死



・25歳の尼僧、ツルティム・サンポは、ダプチ刑務所での抗議運動に参加したために、殴打され亡くなった(判明しているだけで、10名死亡)。

ダプチ刑務所元政治囚の証言




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ガワン・サンドル19歳。刑務所で撮影。


10歳足らずの尼僧ガワン・サンドルは1987年と1988年のラサでの大規模なチベット独立デモに参加した。彼女はグッツァ拘置所に収監され、拷問を受けた。15歳のとき(1992年)、中国政府に対する抗議行動を企てた罪で再逮捕。ダプチ刑務所で服役中、同じ「良心の囚人」の尼僧らと愛する家族や故郷への想いを歌った。その報復として拷問を受けても、彼女は抗議運動を続けた。1998年ラサの中等人民裁判所は2013年までの懲役を言い渡した。拷問後の不完全な治療や刑務所の劣悪な環境などで、彼女の健康状態は極めて悪化していた。
 2001年イタリア・フィレンツェの市議会は、残虐行為に対するガワン・サンドルの一貫した非暴力の姿勢に、満場一致で「フィレンツェ市民栄誉賞」の授与を決定、フランスでも彼女の伝記「囚われのチベットの少女」が出版され話題を呼ぶなど、国際社会にガワン・サンドルを釈放させようとする機運が生まれた。EUや米国の政府レベルの中国政府に対する働きかけにより、2002年10月ガワン・サンドルはついに仮釈放された。

関連書籍 囚われのチベットの少女
 9才でデモに参加し逮捕、1990年、11才で「自由チベット万歳」と叫んだだけで再逮捕され、投獄され続けた尼僧ガワン・サンドルの半生。 かなり詳しい書評  ガワン・サンドルとラサの熱い日 ガワン・サンドルのプロフィールと主なニュース



最後のガワン・サンドルの話で、イタリアのフィレンツェ市議会が、彼女に「フィレンツェ市民栄誉賞」を与えたことや、EUや米国が中国に働きかけて彼女を釈放させたことは、国際的に非常にニュース性の高い情報である。
 しかし、日本のマスコミは、それをほとんど報じていなかったし、日本の政府もこの問題に関心を示して積極的に関わろうとしなかった。
 ガワン・サンドルのケースは、外国からの圧力が、中国の人権弾圧にある程度効果があることを示している。

現在の日本のマスコミの姿勢は、産経新聞を除けば、このときと同様である。政府の姿勢も同様だ。今回のチベット人の抗議運動で大量の逮捕者が出ているが、彼らがこれからどのような目に遭うのかは明らかである。だが、外国が強く中国に圧力をかければ、彼らの人権を少しは守れる可能性がある。北京五輪の聖火リレーがここまで妨害を受けるのは、心ある世界中の人たちが、自分たちにできることを今しなければならないと考え、チベットの現状を世界に知らしめ、中国への圧力を高める気運を盛り上げようとしているからである。

 だが、日本の政府、マスコミは、中国で行われている人権蹂躙をよく知っているにもかかわらず、知らないふりをし、国民にそれをできるだけ知らせないようにしている。逆に、確実に中国に対する強い圧力になっている聖火リレー妨害行動を、暴力と捉え、それを批判しさえしている。


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福島瑞穂。彼女のサイトには「6つの約束・福祉 環境 女性 平和 雇用 人権」とあり、チベット問題は福島の関心と完全に一致している。しかし、グーグルで検索すると彼女のサイトは全部で911ページあるが、その中で“チベット”という言葉は一語しかなく、チベット問題について何も語っていなかった。社民党のサイトも1700ページのうちチベットに関する記述は5、6行にすぎず、本質的な議論はまったくない(2008年4月12日の時点)。もちろん、福島がここで紹介したチベットの人権の状況を知らないということはあり得ない。以前の党首、土井たか子も、北朝鮮に誘拐された女性の親から相談を受けたが、救出に動くのではなく、北朝鮮に通報した。この党はその後も拉致被害者のために何も行っていない。



フィレンツェの市議会が、ガワン・サンドルに「フィレンツェ市民栄誉賞」を授与したこと、EUや米国が中国に働きかけて彼女を救出したことはもちろん、ガワン・サンドルという女性も全然知らなかった。フィレンツェの市議会が授与した賞は、政治家の人気取りのためにできた我が国の国民栄誉賞とは比較にならないほどの価値があるではないか。なぜこれを大きなニュースとして報じないのか。普段は与野党とも平和外交、平和国家などと言ってるのに、なぜEUやアメリカと共同歩調をとらなかったのか。国連中心主義をうたう国会議員たちも、なぜ、国連の「拷問禁止条約」「女性に対する暴力の撤廃に関する宣言」「子どもの権利条約」に違反している中国に対して何も批判せず、中国詣に熱心なのか。

 刑務所の中で拷問を受けても、命乞いをせず、信念を曲げないチベット人たちと、安全地帯にいながら、命ぜられれば胡錦涛の靴さえ舐めかねない我が国の政治家、言論人。我々がどちらを尊敬し、どちらから学ばなければならないかは明らかだ。

 胡錦涛の訪日が迫っているが、彼は1989年のラサ蜂起を鎮圧し、それが評価されて国家主席にまで上り詰めた男である。もちろん、彼の弾圧により刑務所に収監された政治犯は、ここに書かれたような拷問を受け、女も子供も死んでいった。彼の弾圧で、拷問死も含め、少なくとも8万人が犠牲になっている。



我が国が国賓として迎えるその中国と、天皇陛下がグラスを合わせた写真が、全世界に流れる。



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このような光景は絶対見たくない!














殺されたチベット人

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抗議行動を行って殺されたチベット人

1987~2003年


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ロプサン・レグデン (21)
メド・タクチュ出身、セラ寺の僧侶。
1987年10月1日、43人のセラ寺の僧侶とともに、デモに参加。バルコルの警察署に連行される。警察署のまわりに集まったチベット人たちは、僧侶たちの釈放を求め、独立要求のスローガンを叫び始めた。警察署の中では、僧侶たちがダライラマ法王への祈祷を始め、独立要求のスローガンを叫ぶ。警察は僧侶たちに発砲。ロプサン・レグデンは右頭部を撃たれて即死。家族は遺体を引き取るために600元(約9000円)を払わせられた。   




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カルセル (20)
メド・ロブサン出身、ネチュン寺の僧侶。
1987年10月1日、セラ寺の僧侶たちとデモに参加。バルコルで警官に撃たれて即死。




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ロプサン・ワンチュク (73)
アムド・ショチュン出身、サンドゥ・ダカール寺僧侶、仏教、歴史学者。
1959年の「ラサ蜂起」の後、アムド地方の重要な宗教指導者の一人と見なされ、逮捕。1960年1月21日、10年の刑を言い渡される。度重なる「タムジン(糾弾)」により体は衰弱しきった。10年の刑期を終えた後、さらに10年を「労働改造キャンプ」で過ごす。1981年12月3日密かに『チベット独立史』と題された本を書き、再び逮捕。3年半の懲役刑。この本は後に秘密裏に出版され、チベット人の間に広まった。獄中でも再び『チベットの独立を証する十六の要点』と題する冊子を作り、死刑を宣告される。だが、ダライ・ラマ法王をはじめとする多くの国際機関の介入により、18年の刑とされた。長期間手枷、足枷をはめられていたため、手足が麻痺し、また拷問のため視力も失う。1987年11月7日、ダプチ刑務所にて死亡。






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ゴンポ・ソナム (61)
シガツェ、ギャンツェ・ラプラン出身、チベット語及びチベット文化の研究者。
1959年の「ラサ蜂起」の際、中国軍と戦う。60年逮捕、2年の懲役。文化大革命中の66年再び逮捕され、16年を刑務所と労働改造キャンプで過ごす。83年9月30日、3度目の逮捕。ダプチ刑務所に入る。度重なる拷問のため、癲癇発作がひどくなる。85年、病状悪化のため釈放。87年12月23日死亡。








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ジャンパ・テンジン (49)
ジョカン寺僧侶。
1987年10月1日、セラ寺の僧侶たちがデモを行う。警察署に連行されたセラの僧侶たちを救おうと、市民はその警察署に火を放った。ジャンパ・テンジンは僧侶を逃がすために 燃え盛る焔の中に走り込み、大やけどを負う。その時の写真とエピソードは、その後チベット内外に広く伝えられた。同日逮捕。しかし翌年の1月22日、故パンチェン・ラマの介入により釈放。2月21日の深夜、数人の警官が彼の家に来て、激しい言い争いがあったと言う。3月の初め、御堂の中で、首に縄を捲いた姿で死亡。死因の真相は未だ不明。







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ゴンポ・ペルジョル (30)
カム出身。
1988年3月5日、デモに参加。警官に頭部を撃たれ即死。なおこの日のデモには6千人のチベット人が参加。警官隊の発砲により5人が死亡、300人以上が負傷した。






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ロプサン・ソナム(29)
ラサ・ジョブンカン出身、シンハ印刷所社員。
1988年3月5日、デモに参加。警官に背後から撃たれ、胃の右側を貫通。ラサ人民病院に運ばれたが、デモに参加したという理由で手当てを拒否される。4月5日死亡。







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ガワン・クンガ(27)
ペンポ・ルンドゥプ出身、デプン寺の僧侶。
1988年12月10日、独立要求デモに参加。警官に撃たれ、即死。







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タシ・プンツォク(37)
ラサ出身。
1989年3月5日、独立要求デモに参加。警官隊に撃たれ、死亡。






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ロプサン・ゲレック(48)
カム・カンゼ出身、ラサにて商店経営。
1989年3月5日、独立要求デモに参加。警官隊に撃たれる。3月24日、死亡。






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チュゼ・テンパ・チョペル(66)
ノルブリンカの庭師。
政治的理由により1987年12月15日に逮捕される。1989年12月、拷問により死亡。




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ケルサン・ツェリン(29)
ペンポ・ルンドップ出身、セラ寺の僧侶。
1989年12月10日、独立要求デモに参加。警官隊に撃たれて、負傷。一カ月後、ラサの人民病院にて死亡。







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ラクパ・ツェリン(19)
ラサ・キレー出身、学生。
反政府組織「雪獅子青年組織」のメンバーであるとして、1989年11月4日逮捕される。グツァ刑務所に拘留され、2年の懲役を受ける。ダプチ刑務所にて服役中、拷問のため体を崩すが、三度も診察を拒否される。1990年12月13日、ダプチ刑務所で死亡。






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ツァムラ(32)
ラサ・ギャルカラン出身。
1989年3月5日、独立要求デモに参加。逮捕され、酷い拷問を受ける。1989年10月10日、鉄の棒で中国人武装警官を殴ったという罪で有罪判決を受ける。拷問で受けた損傷のため入院したが、医学生による実験手術を受ける。1991年8月25日死亡。







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ダワ・ドンドップ(32)
ギャンツェ出身。
1989年3月5日、デモに参加、逮捕される。懲役2年。釈放された後も長く拷問の後遺症に伏せる。1992年11月2日、自宅にて死亡。








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プンツォ・ヤンキ(20)
タクツェ出身、ミチュンリ尼寺の尼僧。
1992年2月3日、デモに参加、逮捕。懲役5年。グツァ拘置所で6カ月間に及ぶ尋問を受けた後、ダプチ刑務所で服役。1994年2月11日、刑務所内で14人の尼僧らと共に、チベット愛国歌を歌う。さらに刑期が延ばされる。激しい拷問の末、下服部に激しい痛みを感じ、看守に病院での診察を懇願したが、無視される。痛みで全く眠れまま過ごし、9日後、意識不明に陥る。病院に収容されたものの、6日後に死亡。









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ロプサン・ユンテン(65)
ロカ・ゴンカル出身。
幼少の頃、デプン寺にて出家。1959年のラサ蜂起の際に逮捕。23年間を刑務所と労働改造キャンプで過ごす。1987年、ラサで6人の子供たちに文字を教え始める。いずれも、経済的事情等で学校に行けない子供たちであった。1993年には、60人の子供たちを抱える学校になり、ロプサン・ユンテンは「ツァスルおじさん」と呼ばれるようになった。1993年5月17日から23日までラサを訪れた、ヨーロッパからの視察団に連絡を取ろうとして、逮捕される。1994年10月30日、拷問による傷害のため死亡。








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シェーラブ・ガワン(18)
メド・ゴンカール出身、ミチュンリ尼寺の尼僧。
1992年2月3日、尼僧4人とセラ僧院の僧侶1人と共に、独立要求デモに参加、逮捕。懲役3年。ティサム刑務所に送られる。1994年8月10日の夜、尼僧たちと一緒にチベット愛国歌を歌う。激しい拷問を受けた挙句、手錠をされたまま独房に3日間入れられた。以後、記憶がちぐはぐになり、言動がおかしくなる。1995年2月2日、刑期を終え、釈放。入院したものの、同年4月17日死亡。拷問が原因で死亡した最年少の政治囚。







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タシ・ツェリン(59)
シガツェ・ヤンモガブリン出身、ドンツェ寺の僧侶。
1989年11月28日、独立要求のポスターを貼ったために、逮捕される。懲役7年。ダプチ刑務所で服役。1994年9月、病気のため、釈放。1995年5月17日、死亡。







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ダワ・ツェリン(28)
ラサ出身。
1989年3月5日、ラサでのデモに参加。8日、逮捕。サンイップ刑務所に、1990年5月まで拘留される。拷問による後遺症のため、背中が曲がり、まっすぐ立つことができなくなる。病院に入院。5年後の1995年8月19日、退院することなく死亡。








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ツェニ(23)
ラサ出身、「西蔵日報」新聞社勤務。
1990年2月にインドに亡命するも、父の葬式のためラサに帰国する。1994年、税金値上げ反対のデモに参加。デモは数時間後に独立要求デモとなる。逮捕され、グツァ刑務所に拘留。妊娠していたにもかかわらず、拷問される。一時的に釈放されたが、常に監視され、脅され続ける。精神的に耐えられず、自殺。1才にも満たない子どもが残された。







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プルブ・ツェリン(36)
ラサ・ダナクショ出身、セラ僧院近郊の経文印刷所工員。
1989年3月、独立要求デモに参加。公安派出所で、武装警官隊に鉄パイプでめった打ちされる。頭蓋骨損傷を受け、意識不明になる。手術を受け、4カ月間入院。その後自宅に戻ったが、半身不随になり、度々全身痙攣を起す。回復することなく、1996年2月7日、死亡。







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サンゲ・テンペル(19)
ウマ出身、ダムシュン・カンマル寺の僧侶。
1995年4月、政治的理由で逮捕。グツァ刑務所に4カ月拘留された後、ダプチ刑務所にて服役。1996年5月、刑務所で死亡







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ケルサン・トゥトップ(49)
トゥルン・サンダ出身、デブン寺の僧侶。
デブン寺で結成された「フリーダム運動」のメンバー。「世界人権宣言」のチベット語翻訳、「チベット民主憲章」と題される秘密文書の作成、印刷を行う。1989年5月、メンバー4人が捕まった後、ケルサンは、警察から逃れるためにインドへ亡命を試みる。だが、国境の町ダムで、ケルサンと仲間が乗っていたトラックが事故で横転。怪我をした仲間を病院に運ぶ。病院で2人とも逮捕される。懲役18年。ダプチ刑務所で服役中の1996年7月4日、尋問室に連れて行かれる。2時間後、帰された時には、うめくばかりで、一言も口がきけない状態だった。その夜、病院に収容されたが、翌朝4時に死亡。鳥葬に立ち合った者たちは、睾丸が一つ無残に潰されていたことを確認した。








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イシェ・サムテン(22)
タクツェ・デチェン出身、ガンデン僧院僧侶。
1996年5月6日、ダライラマ法王の写真の撤去を命じた工作隊に、僧侶たちは強く抵抗し、90人の僧侶が逮捕される。イシェ・サムテンは懲役2年を受ける。トゥルン・ティサム刑務所に入れられる。2年の刑期を終了し、1998年5月6日、釈放。だが、度重なる拷問と刑務所での劣悪な待遇により、重体となり入院。釈放後6日目、1998年5月12日に死亡。







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ロプサン・チョペル (22)
カンマル寺の僧侶。
1998年5月1日、4日に起きたダプチ刑務所での独立要求デモに参加。1週間後に自殺したと伝えられる。







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デキ・ヤンゾム
尼僧。ニェモ出身。
1998年5月1日、4日に起きたダプチ刑務所での独立要求デモに参加。拷問により死亡。家族は、自殺により死亡したと告げられる。









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ガワン・チュキ(26)
ペンポ・ルンドップ出身、シャルブンバ尼寺の尼僧。
1994年6月、4人の尼僧とともに独立要求デモに参加。懲役5年。1998年5月1日、4日に起きたダプチ刑務所での独立要求デモに参加。拷問により死亡。家族は、自殺により死亡したと告げられ、遺体を引き取ることはできなかった。







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ロプサン・ワンモ
尼僧。
1998年5月1日、4日に起きたダプチ刑務所での独立要求デモに参加。拷問により死亡。家族は、自殺により死亡したと告げられる。







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タシ・ラモ
尼僧。
1992年、独立要求デモに参加、逮捕される。懲役6年。1998年5月1日、4日に起きたダプチ刑務所での独立要求デモに参加。拷問のため、危篤に陥る。1998年6月7日、病院にて死亡。刑期が終わろうとしていた矢先のことであった。







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ガワン・テンキョン (28)
ガンデン寺の僧侶。
1998年5月1日、4日に起きたダプチ刑務所での独立要求デモに参加。5月5日、拷問により死亡。







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ケドップ(26)
ガンデン寺の僧侶。
1998年5月1日、4日に起きたダプチ刑務所での独立要求デモに参加。拷問により死亡。家族は、自殺により死亡したという文書に無理やり署名させられた。遺体は引き渡してもらえなかった。







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タシ・ツェリン(39)
ロカ出身、ラサ在住。大工。
ラサで第6回少数民族競技会が開催されていた1999年8月26日、ポタラ宮殿の中国国旗を降ろし、チベット旗をあげようとして逮捕。胴体にダイナマイトを巻いていた。逮捕されそうになったときに着火しようとしたが、雨が降っていたために失敗。逮捕されたとき、彼は「フリーチベット!」と叫んでいた。秘密警察に、その場で激しい暴行を受け、腕を脱臼し、重傷。セラ僧院近くの警察病院に収容される。1カ月入院していたが、1999年10月、病院で死亡。妻らも容疑をかけられて逮捕。家宅捜査を受け、チベット旗が見つかった。
彼は地元の学校の建設のために寄付をし、中国当局から最も栄誉ある青年10人に選ばれたことがある。








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ロブサン・ツォンデュ(88)
1911年生まれ。ナクチュ出身。
7歳の時、シャロン僧院の僧となる。その後、デプン大僧院ゴマン学堂に入り、仏教哲学を学ぶ。1960年にインドに亡命しようとするが失敗。逮捕され15日間留置。以後彼はチベットのために活動し、4度逮捕され、独立運動に参加した罪で22年間刑務所で過ごす。1999年、88才で死去。
1965年、彼は、ダライ・ラマとパンチェン・ラマ批判を強要されたが、ダライ・ラマと2人の指導僧の写真を自宅の屋根の上に掲げ、一晩中祈りを捧げた。この行為により、彼は「リトル・パンチェン」と呼ばれるようになったが、逮捕されて5年の刑を宣告された。ティーチュー刑務所で囚人たちは虫を殺すよう命令されたが、彼は拒否した。またダライ・ラマや彼の指導僧を批判せよと命令されたが、これも拒否。10年刑期が延長され、15年間服役。
1980年、刑期を終え、デプン寺に戻った。1987年9月初め、若いチベット人たちが、ラサで大規模な独立運動を行ったが、彼はそれを全面的に支援。1988年、9カ月間留置され、1989年に6年の刑を宣告されてダプチ刑務所で服役。
尋問を受けた際、彼は、チベットはダライ・ラマ法王を中心とした主権国家である、と断言。
1990年12月15日、若い政治囚ラクパ・ツェリンが刑務所内で死亡。ロブサン・ツォンデュは囚人たちの待遇を改善するよう要求。このため、彼は独房に監禁され、むごい拷問を受けた。
1996年、彼は、刑期を終え、僧院に戻った。そのときすでに85才。健康状態が悪化しており、1999年1月、デプン寺で死亡。88才だった。僧院委員会は彼のために盛大な葬儀を行った。多くの地元のチベット人たちが訪れ、彼の魂に祈りを捧げた。







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プンツォ (60)
ラサ出身、元タールン寺の僧侶。
チベット亡命政府に、チベットでの人権侵害を記した手紙を送ったことで、1995年に逮捕。2年の懲役を受けるが、拷問で障害者となり釈放される。回復することなく、1999年9月2日、死亡。





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ソナム・ワンドゥ(44)
ラサ出身。大工。
1988年3月5日のラサで起きた大規模なデモに参加し逮捕される。度重なる拷問により、下半身不随となり、1993年に釈放され、自宅軟禁。逮捕後、二人の幼い息子はインドへと亡命。ソナムの尿便の処理(管で排泄)は、叔母が面倒をみていた。全財産を没収されたため、彼は車椅子に乗ったまま、古くなった机やテーブルの色を塗り替える仕事をして、なんとか生計を立てていた。だが、病状は悪化する一方で、常に激しい頭痛に悩まされ、次第に話すことも、聞くことも難しくなっていった。1999年3月、死亡。







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ソナム・リンチェン(27)
メドクンガ出身。
1987年のデプン寺僧侶たちによる初めてのデモに感化され、メドクンガの村に独立要求のポスターを貼り、ビラをまく。1990年、メドクンガでの政治集会にて、村近郊で行われている採掘事業の取りやめを要求。1992年6月12日、政治集会で4人の仲間とともに「チベット独立」「ダライラマ法王万歳」などのスローガンを叫び、逮捕される。懲役15年。ラサのダプチ刑務所で服役中の2000年1月、拷問により死亡。






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ショルパ・ダワ(60)
1940年生まれ。ラサの仕立屋。
独立運動のチラシを配った罪で1981年9月27日に初めて逮捕。懲役2年の判決が下され、半年はガツァ、残りの1年半はサンギャ刑務所に収監。1985年に再度逮捕。このときは、チベットの悲惨な生活環境や中国による侵略を非難するチラシを配布。懲役4年の判決を受け、サンギャ刑務所に入所。1995年にも逮捕。1996年に懲役9年の判決を受け、ダプチ刑務所に収監。2000年11月死亡。刑務所で受けた酷い虐待が原因。詳細






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ナミャル・タシ(52)
1980年代、彼とその家族は、建設関係の仕事に従事。2001年9月20日、ラサの自宅で死亡。
1959年の蜂起のときに初めて逮捕。ノルブリンカ、ガチェン等で強制労働。そのとき、暴行、拷問を受ける。
1991年、サミエ僧院でチベット旗が掲げられた事件の後、彼はダプチ刑務所に7年収監。逮捕の直後、妻のジャンパ・チョエゾム(52)は心臓麻痺で死亡。長男は12才のときに、チャクポリ労働改造キャンプの建設現場で働いている父に食べ物をもっていこうとして殺された。娘のガワン・サンドルは、23年間も収監された女性最長の政治囚である。







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ペンパ(40)
僧侶。TCHRD(チベット人権民主センター)は、2001年にペンパの死を報告している。刑務所で激しい暴行を受けたが、健康上の理由で仮釈放。その1カ月後に死亡。チベット旗を掲げた罪で3年の刑を宣告されていた(TCHRD2001年2月22日)。








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ユーロ・ツルク・ダワ・ツェリン(72)
1930年、ラサ市タクツェ県生まれ。彼はチョネイ・ユーロ・リンポチェの生まれ変わりとされ、子供のときにガデン・シャルツェ僧院へ。1950年にゲシェー(仏教博士)を授与。その後、ギュト密教大学で密教を学ぶ。
1959年、ツルク・ダワ・ツェリンは、ラサ蜂起に参加して逮捕、終身刑を宣告される。1979年、“自由化政策”の影響で釈放。彼は20年をダプチ刑務所で過ごす。
彼は、他の政治囚とともに、建設現場で働いた。釈放後、彼は、1982年までラサ大学で仏教哲学を教える。その年、彼は、政治協議委員会とラサ仏教徒協会のメンバーに任命された。
1987年12月26日、彼は、2人の訪問者にビデオ撮影を許可したことで、セラ僧院の僧侶で友人のトプテン・ツェリンとともに逮捕された。訪問者(亡命チベット人とイタリア人旅行者ステファノ・ダラリ博士)は、ツルク・ダワ・ツェリンの、チベットの人権蹂躙と貧困の蔓延についての証言をビデオで撮影していた。
1988年3月、ラサのラジオ局は、「1987年7月26日の午後、2人の僧侶、ユーロ・ダワ・ツェリンとトプテン・ツェリンは、外国の反動分子に反動的な見解を広めました。彼らはまた、中国共産党と人民政府の政策を批判しました」と放送した。彼らは“反革命主義的プロパガンダ”を流布した罪で中国刑法第102条2項に基づいて起訴された。逮捕後の1987年12月26日、彼らは最初、ストゥ留置所に1年間留置された。そのうち7カ月は、独房に監禁、毎晩尋問を受けた。
1989年1月19日、ラサ市中級人民法院は、ユーロ・ダワ・ツェリンに懲役10年、トプテン・ツェリンに懲役6年の判決を下し、2人ともダプチ刑務所に収監された。
彼は釈放後も、たえず監視されていた。また、長期間刑務所でひどい扱いを受けていたために、精神的にも肉体的にも病んでいた。2002年1月16日午後2時55分、ラサの自宅で死亡。詳細










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ロブサン・ダリャル(38)
1967年、ゴロク・チベット族自治州マチェン県、チューワ出身。
22才まで自宅で家畜の世話をする。22才のとき、彼はラギャ僧院に入ることが認められる。1987~1989年まで僧院にいたが、ラサで行われた大規模な抗議集会が起きている話を聞いた。彼と友人3人は、チベット独立運動への参加を呼びかけるポスターをたくさん作り、ゴロクでポスターを貼った。
1992年11月15日、シンサン・リンポチェは、地元の僧院の座主となる。そのため、14日の夜に、ロブサンと友人は、たくさんのチベット旗や、チベット独立のポスターを作成した。彼らはそれを壁に貼り、市民に配った。非常に多くの人が即位式に集まった。
15日の夜、警察が僧院にやってきて、僧たちを尋問。強要と買収で僧侶の一人が、ポスター貼り運動の首謀者はロブサンであることを打ち明けた。
11月25日、ロブサンは逮捕された。僧院内の彼の部屋が捜索を受け、チベット独立のポスターと、ポスターを刷るための木製の型が見つかった。ゴロクの中等法院は、2年6カ月の懲役を言い渡した。ロブサンの愛国的行動の知らせは、チベット青年会議に届いた。1995年8月の第9回総会で、ロブサン・ダリャルと彼の友人であるロブサン・パルデン、イェシェ・ギャルテンは、その勇気に対して賞が贈られた。
ロブサンは1995年5月25日に刑期を終えた。だが、僧院への復帰は許されなかった。彼は、国や同胞のために政治活動を行い続けた。
1997年4月に、彼はシンサ・リンポチェの亡命に協力。2001年に、ロブサンは、彼の年老いた母に会うためにゴロクに帰った。だが、シガツェに着く前に逮捕された。16年の刑を宣告されてシリンの刑務所に収監。電力施設での強制労働。
ロブサンは、刑務所で何度も暴行を受け、脳に損傷を受けた。2002年11月19日、脳の損傷が原因で死亡。







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ニマ・ダクパ
東チベットのカンゼ・チベット族自治州タウ県出身。ニャツォ僧院の僧侶。
1989年にニャツォ僧院に入り、1年間仏教哲学を学ぶ。1990年、インドに亡命し、南インドのガンデン寺に入る。そこで3年間仏教哲学を学ぶ。1994年にチベットに戻り、さらに学ぶために以前の僧院に入った。
1998年、彼はニマは僧院で学んでいたが、政治運動のポスターを作成してそれを壁に貼るようになった。彼は自分の名前までポスターに書いていた。同名の別人が逮捕されたが、すぐ釈放。
2000年、彼は逮捕を逃れるためにラサに向かった。しばらくラサ郊外に潜伏していたが、ラサで逮捕された。2000年10月にタウ県に連れ戻され、7年の刑が宣告された。
受刑中、彼は非道い暴行や虐待を受け、両手両足を失った。体調がひどい状態が続いたため、釈放されたが、2003年10月1日、自宅で死亡した。






















チベット弾圧 中国に遠慮して・・・

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中国の汚いやり方は戦後も健在

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この写真は今回のものでなく10年前のものであると、中国が(うっかり)認めた。





2008年3月10日以来、中国の弾圧によって227名のチベット人が死亡、6810名以上が逮捕、510名が実刑判決を受けたことが確認されている。

現在までに、抗議行動に関与したとして7名のチベット人が死刑判決を受けており、うち2名は即刻死刑、他5名には2年間の執行猶予が言い渡されている。ロブサン・ギャルツェンとロヤク(ともに25歳)は2009年10月20日、死刑となった。執行猶予付きの死刑が言い渡されたチベット人の名は以下のとおりである。テンジン・プンツォク(27歳)、カンツク(22歳)、ペンキィ(21歳)、ペマ・イェシ(28歳)、ソナム・ツェリン(23歳)。




そし­て10年前、チベットで日本人旅行者が相次いで行方不明になるという事件が頻発してい­た。


1999年7月7日
毎日新聞

北京の日本大使館が7日明らかにしたところによると、中国チベット自治区を訪れた日本人男性3人が昨年夏から行方不明になっていることがわかった。3人が同一行動を取り、事件・事故に巻き込まれた可能性もあり、現地の公安当局などが情報収集に当たっている。

消息がわからないのは京大工学部修士課程・三好隆弘さん(25)/静岡大法学部学生・櫛引克彦さん(23)/元日本通運社員・二見哲也さん(29)。

これまでの調査によると、三好さんは昨年6月23日までチベット自治区の区都ラサのホテルに、また櫛引さんは同8月6日にツアーでチベット入りしたことがそれぞれ確認された。櫛引さんはこれに先立ち同6月にもチベットを訪ねており同17日、二見さんと西南部のシガツェから西へ向けて出発したことがわかっている。

3人は旅行前は交友関係はなく、チベットで知り合って一緒に移動していた可能性が高いという。



行方不明の方々の写真






天台宗僧侶の涙ながらの声明

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The Rape of Tibet

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現在中国がしている事
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虐殺された方々の写真です



     

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